辻川慎一つくば便り

無いと感じられるのかも知れない。

今朝家を出る時には3℃ありましたが、バスの点検をして窓が濡れているとタオルで拭きましたら落ちません。凍っておりました。つまり、氷点下だったのですね。10キロ程度なんですが、ずいぶんと気温が違います。

寒いのを我慢して書類を記入し、発車時間10分前までエンジン(暖房)を掛けずに待っておりました。

それでも昔の人に比べたら、大した我慢ではないよな。なんて思いながら。

思えば、我慢をすると言う事をずいぶんと忘れていた様に思います。

自分に取って大切な人や、本当に欲しいもののために我慢をする。

そうしてこそ、心からの喜びもあり悲しみもあった様に思います。

つまり心は豊かだったのではないでしょうか?

そんな事を考えながら、しばし耐えてみました。


こちらでは「燃える秋」も終わりに差し掛かっている感じがします。


明後日から12月ですね。
バスを運転しながら写真は撮れませんが、朝日を浴びた紅葉の街路樹は何とも言えないくらいステキです。

そんな贅沢の中での金曜日の出発でした。

発車の前に、まだ話しを聞いていなかった「後輩」の同僚に以前の職業を尋ねてみました。

驚く事が多いのですが、昔の道路公団で今は「NEXCO東日本」と言うのでしょうか、ハイウェイパトロールの仕事をしていたとの事でした。


高速道路で良く見かけるこの車ですね。


30年働いて、定年になって辞めたとの事でした。延長の制度はあるけれど2割くらいしか残らないとの事です。

30年で4人死んでいる。けがをする人はさらにいる。24時間体制で、リスクを考えると安い給料だった。殉職しても保険から400万円、2階級特進で退職金が少し増えるだけでした。給料が安くてもスクールバスの仕事の方が良いです。

そんなお話しをしてくれました。

「周りの車が100キロ超えで走る中、危ない仕事だとは思ってましたが、やはり亡くなっているんですね。多少給料が安くても、ご家族は今の方が安心ですね。」

そんなやり取りをしました。

道路公団といえば、昔の運輸省(今だと国土交通省)の天下りのポストでしたね。今も変わらないと思います。

上の者たちは、利権のグルーピングをしてしっかり守り続けている訳ですが、下の者は死んだり、再起不能のケガをしても守られたりはしない。

そんな現実の一端を見る思いがしました。

人を見るのではなく、お金と自己保身ばかり見て偉くなった気がしているんじゃないかな。

そんな風に思ったりしてしまいます。


(ドウダンツツジです。日当たりと栄養が良い場所だともっと鮮やかに燃える様な赤になります。)

「死」は貧しき者には希望であり、富める者には恐怖であったそうです。

一昨年の暮れに亡くなった私の叔母は、生前の名前からようやく解放されると言っていたそうです。現世がそれほど嫌だった事を亡くなってから知りました。

大変な時代と境遇を生きたのですね。

でも、彼女のかけがえのないはずの妹、つまり私の母に対してもいつも「お前は良い」とコンプレックスを持っていた様です。

私には良い叔母さんだったのですが、心の中は他の人との比較で不幸を背負い込んでいた様です。

他の人より豊かならば、幸福なのか?貧しければ不幸なのか?

どちらも人としての心を置き去りにすれば、地獄にいる事に変わりは無い様に思いはじめています。

比較で得られるのは自己満足と絶えざる不安、不満だけの様に思います。

どんなに立派な主張をしていようと、人としての中味が無いなら同じですね。

私も同じ様になりかけておりました。

本当は、何も持たず、それでも感謝を忘れず、人を思えるならば、幸せを感じられるのかなって思いはじめております。

空気の無い宇宙に行くと音も無くて、地球や星が見えるだけで、あまりにも何も無いから「感じる」と言う事が分かるって毛利衛さんがおっしゃっていました。

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