辻川慎一つくば便り

万物には自然の道がある。

「万物には自然の道がある。」って二宮尊徳の言葉です。

どうも子どもの頃の「道徳」で「勤勉」の模範みたいに教えられて、あまり好きになれなかった二宮尊徳ですが、土台教えられて偉くなった人ではありませんでした。

学問って言うのは、厳しく苦しい状況であれ、あきらめずに投げない中で身についていくと言う事を示した人なので、それを学校で均一に教えられる事で分かるはずが無いのですね。

逆境でも投げ出さない事で、学ぶと言う事は本当に身について行くので、すらすらと答案が書ける事が「優秀」とされる中で身に付くはずが無い訳です。


関東だけでしょうか?

あちこちに焚き木を背負いながら勉強する二宮尊徳像がありました。

預けられた叔父の家で、油がもったいないと学ぶ事を禁じられ、働きながら時間を作り書物から学んだ姿なんですね。

それはそうと、万物には自然の道があると言う言葉ですが、その通りだなって思う事があります。

尊徳さん自身は、農民の出なので畑を耕し、作物を作りながら、自分自身でつかんで来た真理なのだと思います。

書物と共に、自然を見ながら自分自身の実践によって発見した事を言葉にしたのだと思います。自然の背後には宇宙があるとも考えていたのですね。



毎日の様に、夜のラッシュアワーの時間帯に毎日バスの運転をしていながら分かって来た事です。


人間の車社会が生み出しているラッシュアワーなんですが、それぞれが何とか早く切り抜けようと右へ左へ車線変更をする。ウインカーを出す時間さえ惜しみ、前が赤信号で止まる事になる場合でも他車より前に出ようとスピードを上げる。

なんて言うか、急ぎ、焦り、イライラしながら走っているので油断はできない訳です。良く見ていないと何をするのか分からないので、前後左右の確認は怠れません。

ところで私の運転するバスは、急停車を避けるための車間距離を取ります。

スピードは、法定速度以下。

武豊さんではありませんが、どんどん追い抜かれて常に後方から前の状況を見て判断する。

追い抜かれ安いスピードと位置取りでもあります。

とにかく自分が一緒になってジタバタするのが一番危ない事を学んで来ました。

一見カオスの様なラッシュアワーですが「自然の道がある」と言われると、なるほどな〜って思う訳です。

尊徳さんの時代に、自動車は無いのですが「万物には」と言う言葉に例外は無いのでは?と思う訳です。

全てには、自然の道がある。それを見出せるかどうかなんだよ。って事かなと思います。

自然の道を無視したり、逆らったりしても、そんなものは上手く行かないし、手痛いしっぺ返しを受ける。

人間が生きる道自体を教えてくれている様に思います。


(自然の恵みに感謝しながらの、今日のわが家ランチでございます。)

そういえば、つくば市にも二宮と言う町名があり、栃木県真岡市にも二宮があります。いずれも二宮尊徳から来ているのですね。

つくば市には谷田部藩がありました。
谷田部藩と言うのは、何と九州熊本にあった細川藩の分家だったのですね。

そして、栃木県にあった茂木藩も同じ分家の所領だったとの事です。

小田原藩から派遣された二宮尊徳は、両方で活躍していたのですね。

もっとも、つくば市の二宮の方はあまり上手く行かなかった様です。洞峰公園がある沼から、堀を引いて用水路を作ったけれど水が通らなかったので「尊徳のバカ堀」と言われたとか。

上手く行かなければ、こき下ろすと言う良くない県民性だけが残ってしまったなら残念ですね。

尊徳さんは、上手く行くかどうかは分からない。人が堕落していればどんなにお金をつぎ込んでもできない。誠実の念を取り戻し、心を合わせた人々によってはじめて可能になるとも言っております。

自分たち自身のための事業であったのですから。自らの責任でやらない人ほど人のせいにするのは、昔も今もあまり変わらないのかなって思います。


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