群れを離れて考える。想像する大事さ。
午前中に妻と買い物に行って、駐車場の警備の人が「気をつけて下さい。」と言うので笑顔で「暑いですね。」と返しますと「本当に、もう帰りたいくらいです。お気を付けて。」と言われました。「ありがとうございます。お互いに。」みたいなやり取りになりました。
妻が「あなたは仕事が変わってから、色んな人に話しかけられる様になったね。きっと昔みたいに『俺に近づくな!』って言う怖い顔で無くなったからだね。」と言います。
工場の警備の仕事をしている人たちともだんだんに親しくなっているからかも知れません。
暑い中、外に立って工場内で事故が起きない様に警備されている人たち。色んな前職があって、働いておられます。
その意味では私も同じです。JRの方はおりませんし、元「過激派」の幹部だった人は雇われないのでいないと思いますが…。

外に立っている人は、さすがに交代制ながら、こんな扇風機が付いたベストを着用されています。
「少しは涼しいですか?」と尋ねますと「熱風が入って来るだけなので、脱ぎたいくらいです。」との事。
「8月になると保冷剤を内ポケットに入れる様になりますが、今から入れているとピークに持たないので。」とも説明してくれました。
なるほど、聞いて見ないと分からない。働くみなさんには、色んな大変さや苦労がある事が親しくなると話して頂けます。
どうも、子供の頃から点数で評価される事に慣れるに従って、点数が高いのが上みたいな考え方になってしまいます。
そして、組織や群れの上に立つ事が勝利であるかの様に思わされてしまう。
だからどなたかがカイロ大学を卒業したか、嘘かなんて事で騒ぎになる。
どちらも下らない様に思います。
人にも、その文化にも、職業にも上下なんか無い。違いがあるだけ。それを大切にできる人になる事。
今やそれが、本当のグローバルスタンダード(世界基準)な人なんだと思います。
狭いところで、狭い考えを「共有」する事が仲間であるみたいなところから抜け出さないといけません。
狭い考え方で殺し合う事から、世界が解放されなければならない様に思います。

私のJR時代からの仲間たちは、互いに仲間たちを思いやって来ましたが、デモを規制する警察官も同じ人として見る。声もかける。
沖縄に行った時のエピソードも出しましたが、担当の沖縄県警の人たちにも何だか温かくして頂きました。
福島第一原発事故の後、原発事故が収束できず住民が戻れない中で、金を落として復興だとするやり方に反対し、JRの常磐線開通強行のための富岡駅の記念式典抗議行動をやった事もありました。
JR東日本の方で「妨害しているから排除しろ!」と要請した事に対して、福島県警の責任者の方が「この人たちは交通の妨害はしていない。」と言った事を良く記憶しております。
警察官だって「酷い!」と思うほど酷かったのは、沖縄と共通しておりました。
もし、本当に現状が酷いと思い、良い方向に変えたいならば、相手の人たち、周りの人たちの共感を得なければできないのは当たり前の事ではないでしょうか?
私の仲間たちは、仕事や身分でなく人を見る。だから当たり前に笑顔で話しかける。
私たちの労働組合を支援すると言いながら、自分たちの政治的存在証明のために来て心を寄せ始めた人たちも敵として罵声を浴びせる人もおりました。
私は、そう言う人たちの群れから離れました。
離れて、考え直す事ができました。
良く考えると言う事は、心に聴きながら。それは、決して孤立しない。心に聴くと言う事は、相手の状況や立場、心のありかを想像しながらだからなのだと思います。人間は、そうやって壁や対立を越えて来ました。古い縛りから解放されなければ、新しい関係は始まらない様に思います。。
https://youtu.be/wARpk54fv8U?si=SviFG1eQwLZrZDvC
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