「大きな痛みを伴うと小さな雑念は全て消え去る。
だからこそ絶望を利用して新しい自分になれる。」
人の期待に応え続けたあげくに、大切な存在を失った自分の後悔が余りに大きく取り返しがつかない。
自分の誤ちと絶望に耐えられず、酒で紛らわす。
妻のおかげで、自滅的飲み方をしなくなったと思っていましたが、やはり何かしらの困難にぶつかると酒に依存していた。
ここでも自分は大丈夫と言うことに、全くの根拠がありませんでした。
(綺麗な葉が印象的ながら雑木かと思ったアカメガシワ。炭や下駄の原料になったり、日本薬局方に載る薬効がある植物でございました。初めて見た花は、優しく甘い香りがいたしました。)
解決できない痛みや絶望があることをしっかり感じ、自分自身で見据える以外には無いのですね。
自分の痛みをごまかさないことから、人の痛みを感じられる様になるのかも知れません。
期待に応えようと、自分の痛みを感じない様にして来た。その結果、人の痛みも分からなくなってしまっていました。
そう言う人たちの集団は、人の痛みなど関係ない集団になります。
例外はありません。
だから、私はあらゆるものへの依存であれ、人に対する依存であれ、依存する自分の心を絶たなければなりません。
(ナツツバキ)
心の自立こそ、人としての連帯の前提なんだと思います。
人の人生など本当は、誰も背負えない。苦しみ、痛み、喜びを共にできて分かち合えるかどうかしか無いからです。
美味しいお酒を作った人にも失礼なことに、私は自分の苦しみを忘れるための手段にして味わうことなどありませんでした。
妻に出会うまで、自分の「責任」を終えた後、一人飲んでは号泣して吠えていました。
やり場の無い悲しみと怒りの行き場が自分でこわかったから、隠した。期待に応えなければならないから。
もはや、期待に応える組織も何もありません。それでも私と一緒に生きて行くと言ってくれる人たちがいるだけです。
なので、ブログを毎日上げ続ける事への依存も終わりにします。