みなさま。雨が降り、今は晴。洗車しなければならないバス運転士泣かせの天気ではありますが、同僚は「まめに洗車しているとすぐに綺麗になりますね。」と前向きでございます。
何事も無駄にはならない。プラス思考の方がストレスは無く、何より自分自身のプラスになりますね。
同僚たちとの話は、事故の話が多い。
他人事では無いからです。

ロシアのバス事故の話しも出ます。
前日20時間乗務させられていたとの事ですが、日本でもちょっと昔ならあり得た事だと思ったりします。
労働者なんてのはいつでも取り換え自由。派遣労働者は人件費でなく物品費と同じ扱いでした。
転換点は、1987年の国鉄分割民営化からでした。
国鉄分割民営化で職場を去った人が、バス会社に入り「労働組合を作るから手伝ってくれ!」と先輩に頼まれたのが、今私が働くバス会社との関わりの始まりでした。
それから私は、JRの労働組合の委員長をやりながらバス会社の労働組合を担当して労働者と経営者の両方から話を聞き、両方が納得できるまで仲裁すると言う事をやって来ました。
私が、双方から恨まれていたら今は無い訳です。
ただ昔の迫力と「威光」が凄かった事のギャップに、ずいぶんと苦しんで来た訳ですがようやく私は、私として受け入れられて来た感じがしています。
役目がら、かなり無理をして自分を作って来ましたが、本当は、名前の通り「慎む人」の方が合っている様に思います。
色んな人が、私に語りかけてくれるのは、そう感じてくれるからだと思います。
そこのところを信頼して人生を共にしてくれた妻がいて、本来の私を生きれている。

昨日は、牛久市のコミュニティバスで、高齢者が転倒して重症を負ったと言うニュースもありました。
3月までは、牛久駅へ送迎に行っておりましたので、余計に他人事では無い感じがしております。
座っているはずの高齢者が、発車間際に立ち上がり転倒してしまったとありました。
それでも、車内で怪我人が出れば「車内事故」として運転士の責任が問われます。
本当は厳しいのがバス運転士の仕事なんです。
周りだけでなく、車内にもしっかり目配りして安全を確保しなければならないのです。
みなさん、当たり前の様に思われておりますが、人の命を乗せる責任の重さと厳しさ。そこを営利優先や賃金・待遇の問題だけにすると誤ってしまう様に思うのです。
「免許返納を後悔」全国に拡大する“路線バス廃止”に住民悲鳴!都市部でも続出「自分が買い物難民になるとは」(女性自身) https://news.yahoo.co.jp/articles/7ed1dc9fc4aa90948e03da7c2831c759501621a6
もはや労働者が取り換え自由の時代では無くなりました。
少子高齢化で労働者確保が、社会と企業の死活的問題になっている。
時代が根本から変わった訳です。
それでも、見かけ上待遇を良くすればみたいな議論ばかりの様に思います。
結局人を根本から見直す。人が相互に、尊重し合える企業や社会をどう実現して行くか?魅力ある、生き甲斐ある企業や社会でなければ終わってしまう。
自民党がそっぽを向かれて、終わり始めているのは結局これまでの発想やあり方の限界が来ているのではないか?
そんな風に思います。