管理と支配
私は、JRで電車の検修の仕事をしていた事があります。検査や修繕のためには工具をはじめ「道具」が必要なのですが、自分の道具を管理できない人は一緒に仕事をすると言う事が成立しませんでした。
他の人が作業に入っても、自分の道具をどこかに置き忘れて道具探しで終わってしまう人がいました。

(電車ではありませんが、息子の付き合いで鉄道グッズ店に行き見つけました。国鉄時代の運転士さん。知っている人だと思うのですが…。)
自分で、自分に関わる物事に責任を取る。つまり管理できないと、共同作業にならないのですね。
管理と言うと支配と切り離せない感じがして、管理される事にずっと抵抗があった訳です。
支配のための管理と人間の共同のための管理とは同じ言葉でありかながら違う様です。
本当の管理とは、人と共同するための前提として自らの責任と積極性によるものであって強制されるものでは無いのですね。
強制は、自分の人としての責任を本当には問わないので無責任しか生まない様に思います。
支配や権威に甘んじる事は、自分の責任を本当には問われないので実は楽な訳です。
戦争で人を殺害しても、命令だから…私の責任ではないと逃げる。
人間の歴史で良く見て来た事です。

(昨日は、珍しく私の方が帰宅が早いので夕食を担当したのですが…やはり自分でも物足りない味でございました。「先ずは茹で上がったパスタに、オリーブオイルを絡めるのが不十分ですね。」とのことでした。)
自分で管理責任を取れる人になると言う事は、他の人と共同して生きる事の前提なんだと言う事を学び直させて頂いております。
恥ずかしながらちゃんとした大人への道に、ようやく立ち戻っているところでしょうか?
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