辻川慎一つくば便り

確かなものはどこにある?

無常(常に変わる)の世界と言われますが、毎日バスを運転していますとやはり同じ日は無いと感じます。

昨晩も、3重衝突事故を見ながらの運転でした。

夜の帰宅ラッシュで交差点左折時には、横断歩道を渡る歩行者と自転車には特に気をつけているのですが、横断歩道の信号が赤になり、大丈夫かと思いきや自転車が減速する事なく突っ込んで来てドキッとしました。

信号無視をするのは、車ばかりではありません。歩行者も、自転車に乗る人も守らない事があります。

でも、当たったら責任が発生するだけでなく大変な事になりますので大丈夫と言う事がありません。

なので、交差点を曲がる前に、人と自転車が無い事を確認して、最大限徐行しながら左折するのがバス運転士なんですね。

それでも減速する事なく突っ込んで来た自転車がありました。

念の為に調べると、自転車は歩道を通る場合は歩行者用信号に従い、車道脇を走る場合には車の信号に従うと言う事になっていました。

何だか微妙ですが、車道脇の自転車は車と同じ信号に従うので歩道が赤でも関係なく来ると言う事です。

つまり自転車は歩道が赤信号だと渡らないと言う前提だと巻き込み事故になりやすいし、実際に事故が多い訳です。

当たり前の様に思っていた前提が違う事がある。

命は大切、安全第一と言う思いだけでは通用しない。法律(ルール)を、再確認しながらでないとぶつかるのが人の社会共通の事かなと思います。


(山林におき捨てられていた切り株の断片を拾って、悪戦苦闘しながら椅子に致しました。何が大変だったかと言いますと安定させる事。下の面がデコボコなので脚の長さを同じにしても、ダメな訳です。ノコギリで切りながら脚の長さを微妙に長さを調整するのですが、中々上手く安定しない。ようやく座れる様になりました。なかなか存在感のある愛用椅子になりました。)


ルールはお互いのため、ぶつからないためにある。意思の自由と言うのはルールを無視する中には成立しない。

なので、問題があるルールや法律は、ちゃんと問題にして変えて行かなければならない。民主主義の根幹なんですね。

変えようとする者が、民主的でなければ独裁と言う事になるので結局支持されなくなる。

民主主義ってめんどくさい訳です。
事ある事に法律・ルールが増えて行くので、何だかがんじがらめになって「自由」なんか無くなって行く感じもします。

不揃いな面の4本の脚を揃えるのだって大変なんですものね。

増して人はみんな違うのですから、合わせると言うのは至難の技なんだと思います。

でも、考え方やルールの解釈、それぞれの都合や事情が違っても、人間には合わせられるものがある。

それが、心なんだと思います。
この心がまた厄介で、相手がこうだろうと期待しても期待外れになる訳です。

うーん、そうすると勝手に解釈されない様に、やはりルールでがんじがらめになるしかないのか?

無常の世界に確たるものは無いのでしょうか?でも国連を作っても世界は縛れない。ルールでも利害が対立するのは、国内でも国家間でも同じなんですね。

そうしますと、確たるものって相手や他国にあるのではなく、結局自分の思いや心に帰って来る様に思います。

確たる思いや心が自分の中にあるのか?
それ以下のところに自分自身に取っての確実なものは無いのではないか?

不確実性の時代に入り、心の時代と言われて久しいのですが、以前として金と経済成長の中にしか未来が無いと追わされている感じがします。

自殺者や心の病が増え続け、殺人や傷害事件も無くなりません。

自分の心、自分の身体によ〜く耳を傾けて見る。

私も出来て来なかった事ですが、他者がどうのと言う前に大切な事の様に思います。

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