辻川慎一つくば便り

焦らせてはいけない。(尼崎事故19周年に思う事)

巨大独占企業は、営利優先の効率化で巨大な利益を上げながら、社会的責任については個人や下請けに転嫁できます。

JRから中小バス企業で働く様になって一番感じた事は、大きな事故一つで会社が終わってしまうと言う厳しさです。

安全に死活がかかる責任者の言葉は「効率化は、安全に危機をもたらす。」でした。

安全こそが、人を乗せて運ぶ事を生業とする会社の信頼であり、土台である。と言う事なんです。

思えば、安全に危機をもたらす効率化と人権無視とJRの中で闘って来た身でありましたが、やはり規模が大きい故の甘さがあったと改めて感じます。

労働者の責任にして済ます事ができる大きさ。ちょっとやそっとの問題で経営危機にはならない。JRは、特に東京圏や大都市圏では、無くてはならない足な訳ですから。

そんな甘さが、こちらには無い訳です。甘くしたら終わりなんですね。


(2005年4月25日のJR福知山線尼崎事故から、昨日で19年でした。)

さて、JR西日本を始め、JRがこの事故からどんな教訓を得て来たのか、私には分かりません。

かつてJAL123便墜落事故で、企業そのものも墜落した日本航空が、本年正月2日の能登半島地震救援に向かう海上保安庁機との羽田空港衝突事故での奇跡の様な全員無事生還を実現した事が記憶に新しいですが、悲惨な事故の反省と対策を企業組織再建の柱にして来た事が証明された様に感じました。

https://filmstar.jp/untenshi_fukuchiyama/

組織としての責任を個人の責任にして済ませば、組織として腐敗する。何故ならば、人の社会の中で成り立つかどうか?が本質なのですから。

私は、自分のたくさんのミスのお陰で60代にして、他の人ができない経験を積む事ができました。

自分の甘さの一つ一つを身と心と頭に刻み混んで来れました。そして失敗は、しっかり見据えられれば人としての宝になるのだと思っています。

まだ20代のバスドライバーが運転するスクールバスの介助人もやりました。

子どもたちに気を配りながら、若い運転士の運転も見ておりました。

そのバスの帰路の回送中に、衝突事故が起きました。

場数を踏んでいた分慌てる事無く、バスを安全な場所に寄せる指示をした上で、警察、会社に即座に連絡。相手側の怪我等の状態を確認し、相互の車両の状態を写しておき、若いドライバーを落ち着かせました。

過失は相手にあるのですが、若いドライバーはしゃがみ込んで「もう終わりだ!」と涙を流す。

ショックとは、そう言うものなんですね。

「こんな事で終わりはしない。」と伝えながら寒いので上着を掛けてやりました。

警察と会社の責任者が到着し、現場検証。終わると自走できるので、車庫まで安全確認のサポートをやりました。

その青年を見ながら、私が思い出したのは、尼崎事故の若き運転士でございます。

経験が浅ければ、誰しも不安になり焦るのです。「もう終わりだ!」と追い詰められる。

その時に大事なのは?失敗しながら、経験を積んで来た先輩の暖かくも厳しいフォローなのだと思います。

事故的には、相手に過失がある。しかし私は、若き運転士も帰路を急いでいた事をしっかり見ておりました。

時間がたち、落ち着いた頃を見計らって「焦って、急いでいる者同士はぶつかるよね?君は、何を焦っていたの?」とそんな振り返りを一緒にした次第です。

それから、焦ったり、急ぐ事は無くなった様でございます。

会社の責任者も同じ立ち位置ですので、私への信頼もかなり回復した瞬間でもございました。

頭の中の考えや理屈と実際にやる事は違う。頭でっかちで理屈ばかりの人が、現実に弱い事を見て来ました。

見栄を張る人は、人からも、失敗からも学べ無いからですね?

結局通用しなくなる。

人の世であり、社会なのですから、人を尊重し共に育つ事が原理なのだと私は思います。

昔が良かった訳でも、今がましな訳でもなく、そこを外せばいずれもダメなのだと思うのです。


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