辻川慎一つくば便り

無関心の悪

昨日は、妻と一緒に東京に出かけて映画を観て来ました。

念願だった「サイレントフォールアウト」(「放射能が音も無く降っている」と言う意味の様です。)


パルシステム東京の企画に応募して、幸運にも当選させて頂きました。


何と妻がつながっている伊東英朗監督も来られて、直接お話しを聞く事もできました。

映画は、日本に原爆を投下したアメリカでは101回の核実験が行われ、101回分の放射能がアメリカ全土に降り注いだ。その被害の実態を被曝者の言葉と姿から明らかにしたものでした。

テレビ番組も作成し、自ら「オタク」と言う監督が映し出すアメリカの街の美しさ。その美しい街に、恐るべき量の放射能が降り、今も消える事なく被害を及ぼしている。映像の美しさと愛する家族を次々とガンで失った悲しみ、何も知らされ無かったと言う事への怒りを語る人たちのコントラストが、放射能被害がどういうものであるかを胸に迫る様に明らかにします。

そして、アメリカやイギリスが太平洋ビキニやクリスマス島で核実験を行った事で、アメリカ全土はもちろん日本まで放射能が降った事実が明らかにされます。

そして最後には、「グローバルフォールアウト」既に世界中の人々が被曝している事を明らかにしていました。

つまり他人事では無い訳です。


(「第五福竜丸展示館」学芸員の市田真理さんと伊東英朗監督のトークセッション)


市田さんのお話しも、伊東監督のお話しも、私自身がどうしたら良いのかを改めて考えさせて頂く内容でした。

伊東監督の「私はオタクなので、自分がやれる事をやっている。みなさんにもそれぞれ得意な事やできる事があるはずです。やれる事をやる。何もしないと何も始まらないと思います。」との締めが、映画を観た人への一番のアピールの様に思いました。

「そろそろ『唯一の被爆国』と言うのはやめませんか?地球に生きる全ての生物、世界中の人が被曝しているのですから。」

とも話されました。


雨の中の放射能のデータです。


1957年が一つのピーク。私が生まれた年です。「雨に当たるとハゲる。」と言われていたのを思い出します。

もう一つのケタ違いのピークは…もちろん2011年3・11です。


核実験があったビキニ近海でマグロ漁のために被曝した第五福竜丸。被曝したのは、他の漁船もマグロも全てでした。


漁をしながら、マグロを食べた漁師たちも次々と若くしてガンになり亡くなって行きました。

第五福竜丸展示館にも行ってみたいと思います。

現実に核戦争が迫る中、日本の被爆者団体「被団協」がノーベル平和賞を受賞しました。


(帰路の新宿駅近くです。)


「その死が悲しまれない命は、存在価値の無い命である。…命をどう追悼するのかは、生き残った人々の命の価値を問う事と結びついている。」

と言う言葉が胸に刺さります。

https://ameblo.jp/himrockhth/entry-12192851103.html

13才で亡くなった猿渡瞳さんの「命を見つめて」の中にありました。


「今の社会のほとんどの問題で悪に対して『自分には関係ない』と言う人が多くなっている。自分の身にふりかからない限り見て見ぬふりをする。それが実は、悪を応援することになる。私には関係ないというのは楽かもしれないが、一番人間をダメにさせていく。自分の人間らしさが削られどんどん消えていってしまう。それを自覚しないと悪を平気で許す無気力な人間になってしまう」

無関心が悪をはびこらせる。とすれば、無関心である事が悪になります。

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