辻川慎一つくば便り

守るより護るが気持ち良い

昨晩は金曜の夜ラッシュ。「渋滞が酷いのだけが大変ですね。」と話すと、ベテランの先輩が「つくば市は人口が増えているから、昔より酷くなったかも知れないね。」と返してくれました。

改めて構え直して夜のラッシュアワーへ。停車して乗客を安全に降ろすのも、なかなか気を使います。バスの後ろに後続車がたまります。低速な上で、降車で停まるのでバスの後ろを嫌がるのは私も同じですから。

それが分かるので、根性も要る訳です。

3車線の左で降車させてから、次ぎの停車場に行くために一番右側に車線変更をしなければならない箇所があります。

つまり、混雑している中で2車線移動しなければなりません。

ウインカーを出しても減速して入れてくれるドライバーより、バスの前に出ようとする人の方が多い。加速して「入れまい」とする。

なので無事に車線変更するのは、簡単では無くかなり注意が必要です。


(車庫のわきに咲いていました。花が小さいけれど青い花。「アメリカアサガオ」との事でした。帰化植物なんですね。以前は植物図鑑を見ながらで名前探しに苦労しましたが、スマホのおかげで簡単になりました。)


そんな時に、私のバスを入れるために明らかに徐行してくれているバスがいるのがサイドミラーに見えました。

暗がりですが「あ~、同じ会社の同僚だ!」とすぐに分かりました。

私が車線変更するのを知っている人ですから。つまりルートを知っている人な訳です。

ありがたく入れて頂きハザードを点滅してお礼のサインを送る。

何とか3車線目に移動してから、そのバスがわきを行く時に手を上げる。相手も手を上げて笑顔が見える。

「大雪のスキーツアーで暖房が故障したバスの中で一晩過ごした事もある。ラッシュくらいで動じないよ。」と話す(年下の)ベテラン運転士です。

文字にすると長くなりますが、ほんの一瞬の事ですし、相手の人に取っては当たり前の事なのかもしれません。

ところが、慣れない私の方は当たり前とは思えない。「俺は護られているんだな〜。」と感じるのでございます。

昔「辻川は、当たり前の事ばかり言っている。」と言われた事もありました。

どうも他の人には「当たり前」の事に、いちいち感動してしまう様です。


(近くに咲いていたヒルガオです。花の色だけでなく、葉っぱが違うのが分かりました。)


「守る」人と「護る」人。内向きに守る事に対して、護るってポジティブな感じがしないでしょうか?

「護る」の「護」には「助ける」「かばう」「大切にする」といった意味合いがあるのですね。つまり、積極的な思いを行為とするのが「護る」事なのだと思います。

「自分を守る」事ばかり考えるより「人を護る」事で自分もまた「護られる。」

もしかして、島国日本でしか通用しない事なんでしょうか?

ほんの一瞬だったり、ささいな事だったり。自分を守る事ばかり考えて、衝突して事故になり悲惨な結果を見る日々の中で「護る」事の大事さを実感しております。

みんなで護り合えば気持ち良く生きられるのになって思います。

国際社会も世間も敵ばかり、何を甘い事を言ってるんだと言われそうですが、護ったり護られたりする事の中に日本の平和の土台があったのではないかななんて思います。


(「ベニバナボロギク」やはり帰化植物との事。人類と同じでアフリカから来たそうです。山野には、国境を超えていろんな植物が咲いております。)

日本語が分からなかったベトナムの若き労働者たちの一人一人の顔を見て「行ってらっしゃい。」「お疲れ様でした。」「気を付けて。」と声をかけて来ました。今はほぼ全員の人が「ありがとうございました。」とか「行って来ます。」と返してくれます。

家族と離れて、遠い日本で毎日働いている。大変だろうな。少しでも楽しく、無事でいて欲しい。

そんな思いです。大した事はできませんが、バスに乗っている間は「護れたらな」って思います。でもそれは、一方通行でなく私も守っていただいているんじゃないかと感じます。

やっぱり島国日本だから通用するって事じゃないよなって思うのです。通用するかどうか、やってみないと分からないのですから。

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