辻川慎一つくば便り

満開の桜

雨が降ったり、少し晴れ間が出たりと天気ははっきりしませんが、茨城の桜も満開になりました。せっかくなので、休憩時間に妻を誘って見に行って来ました。


「咲き始めの方が好きだ。」と言う妻も喜んでくれました。


昨日は、その妻に私の母から電話があったのですがすぐに切れてしまうので、何かあったのかも知れないと私からかけてみました。しかし、つながっても会話ができない。何回かかけてようやく会話できたのですが「良く聞こえない。」と言うのです。

どうやら電話機が古いので故障してしまった様でした。前回も調子が良く無かったのですが、私の携帯電話の電波状態が良くないのかなと判断がつきませんでした。実家の電話機の問題だと分かりましたので「父さんに新しいのを買ってもらった方が良いね。」と言うと「それが、私が言ってもまだ大丈夫だと言って聞かないんだよ。」と言うので「困ったね。換えないと通じなくなるよね。」と一旦切りました。

しばらくするとまた電話が来て、今度はクリアに聞こえて来ました。「私が言っても聞かないのに、父さんに慎一が換えた方が良いと言ってると話したらすぐに買いに行ったんだよ。全く素直じゃないので困ってしまう。お前がいなくなったらどうしよう?」

そんなやり取りがございました。
89才の父と84才の母。過酷な時代に、激しい喧嘩をしながらも、懸命に私を守り、育てて来た両親でございます。

「それは良かったね!」と笑いながら、私の言う事なら聞いてくれると言う父と、居なくなったらどうしようと言う母に取って私とはどんな存在なのだろうと考えてしまいました。



そう言えば、JRの労働組合動労水戸の木村委員長に「辻川さんは、いてくれるだけで良いんです。」と言われた事がありました。


私が初代委員長の時に「誰が何と言おうと組合員を守るのが委員長の努めだ」と考え、その様に行動したのですが、それは私の両親の私に対する姿勢や思いが原点にあった事を今さらながらに思うのでございます。

あなたが居なくなったらどうしよう?
それは、利害関係の打算でなく人と人との本質なのだと思う訳です。

私は、その様に行動し、言って来たのはずなのに打算がらみで持ち上げられているうちに図に乗って、私を大切だと思ってくれている人の心の声を聞かなくなっておりました。

それでも私を信頼し、守ってくれた両親や仲間たちに人として救われたと言う事かと思います。

「側にいる人の影響が大きい。」と仲間たちも両親も言います。


「あなたと一緒になっても何一つ良い事が無かった」と言う妻ですが「動労水戸の仲間たちに会えた事だけは良かった。こんな凄い人たちの集団に会った事がない。」と言います。

動労水戸に残った組合員たちは「この仲間たちで良かった!それは、永遠に変わらない。」とまで言い切ります。

その仲間たちの思いと両親の思いは、きっと一緒なんですね。

私も、その思いをしっかりと受け止め直し、あなた達の子で良かった、あなた達の仲間で良かった。居ないなんて考えられない。

打算にも誰にも崩せない関係がそこにあるのだと深く思い直しております。

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