辻川慎一つくば便り

洗濯干しの思い出。

今日は、陽がさすのが1時間で終日曇り予報の土曜日です。昨晩は疲れて寝てしまい、今朝は洗濯をして干す事から始まりました。

私が洗濯干しをやりながら、必ず思い出す先輩がいます。

1985年から1986年にかけて、国鉄分割民営化に反対してストライキで闘った動労千葉と言う労働組合を率いていた中野洋さんという先輩です。

現場の労働者が心を一つにして闘う時に、一体どんなに凄い力を生み出すのかを実証して見せてくれた私の先生でもありました。

自分が目標にできる先輩がいる事って、とても幸せな事だと今でも思います。


(今日もコスモス好きの妻に喜んでもらいたくて、コスモスを見に行きました。「小町の里」です。ようやく満開のコスモスが見れました。)


1986年「無謀な新組合結成」とマスコミに言われながら「動労水戸」と言う労働組合を仲間たち40人と作り組合委員長になりました。

全員20代で「辻川は間違いなくクビだ!」と言われておりました。

組合員も覚悟の上で、仲間たちと一緒に生きる道を選んだ様に思います。

奇跡の様な、あるいは無茶な挑戦だったと思われていました。



新組合を作ってから千葉市にある動労千葉の組合事務所に頻繁に行くようになりました。


そこには、もう故人になられた尊敬する凄い先輩方がいたのですが、中野さんが彼より年上の先輩たちを怒鳴っておりました。

何の話かと言いますと、洗濯物の干し方が成ってないと怒っていたのです。

「洗濯物は、整えてシワを伸ばして干すんだ!いい年してそんな事も分からないのか!」

そんな話しでした。
初めて尊敬する先輩方に会った時でしたので、とてもビックリして驚いたのです。

そう言う日常的な事をちゃんとできずに、労働者の信頼を得る事なんか出来ないぞ。

そう言う事だったのかも知れません。

お父さんを早く亡くして、東京から勝浦に来て親戚の家に世話になり母子で苦労されたのだと思います。

千葉随一の進学校に入りながら、大学には行かず国鉄に入って働いた人でした。

色んな事にちゃんとされていましたし、ちゃんとする不断の努力をされていたと思います。

だから、敵味方を越えて人として信頼され尊敬されていたと言う事が、今更ながらに分かります。


私は、その先輩にとても可愛がられ、信頼もされました。


それは、単に思想信条とかのレベルでなく人として信頼してくれたのだと思います。

「お前は、俺に無い凄いところがある。俺はお前みたいには書けない。そしてな、お前が良いのは(仲間たちのためには)誰の言いなりにもならない事だ。」

そう言ってくれました。

それなのに人としてもっとちゃんとしなければな~。まだまだだな〜。

そう反省しながら、洗濯物のシワを伸ばして干すのです。

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