枯れた心の時間泥棒
どうなることやらの暑さが、ちょっと一段落。有り難いながら、昼間も爆睡してしまうのは、身体が暑さの疲れを吐き出しているからなのかも知れません。三連休だったのに乗務時間以外は、とにかく眠くなります。
私の妻は、いつもワクワクを探したり、料理を作ったりなんですが、どうも私の方は心からのワクワクが湧かず、くたびれて、不満とイライラばかりみたいです。
妻に、私の時間を奪わないで下さいと言われてしまいます。
「別に私の事は、気にしなくて良いよ。」と返しますと「それなら一緒にいる意味がないでしょう。」と言う。
う〜ん。私は時間泥棒だったのか〜?
時間泥棒で思い出すのは、こちらです。
かなり昔に読んだ本です。
モモと言う女の子が主人公。ミヒャエルエンデと言うドイツの作家が1973年に出した本です。戦後世界経済が崩れ始め、日本だと高度経済成長が傾き出した頃に出された本でした。
「モモのところに行ってごらん!」困ったことがあるとき、人々はこう言います。モモは、生きていく上で何が一番大切か、何を守るべきかを知っているのです。友だち、想像力、自由。遊ぶ時、モモと子どもたちは想像力を全開にして驚異の大冒険に乗り出します。」と言う様な始まりだったと思います。
ところがそこに時間泥棒が登場する。
灰色の男たちはある計画を企てる。彼らは都会の人たちに「時間貯蓄銀行」の口座を開き、人間関係にとられる時間や一人のお客にかける時間を節約し、貯蓄に回すと高額の利子が付くと勧める。だまされた人々は、灰色の男たちのことを忘れ、自分の時間がどんどん短くなっていくことに疑問をもたなくなる。人々は「時間節約」に励み、その標語が町中にあふれる。「時間貯蓄家」はお金を稼ぐが、ふきげんで、くたびれて、怒りっぽくなり、町の北側には無機質で、同じ形の高層住宅が立ち並ぶようになる。
そんな展開でした。軍隊の集団主義をそのまま企業集団主義として「時は金なり」に切り替えた。それへのかなり根本的批判が込められていたので、ドイツの次に日本で読まれたそうです。
集団主義と言うのは、企業にとどまらず日本の組織と言う組織を無自覚的に支配して来た。
だから、組織に従うみんなと違う者は叩かれた。つまりイジメですね。それでもも従わないものは、組織を破壊する者として排除された。
国家や政党、企業を批判しながら自分たちもしっかり集団主義の中にいる。それが、組織人であると他人も自分も縛る。アウトローの「暴力団」だって同じ枠にあるのだと思います。
権威と上下関係に従う事が、組織の中の居場所と「安定」を保証する訳です。
全員とは言いませんが、本当の意味で、個として自立して新しい挑戦をして来た訳では無いのです。
「安定」のためには大樹の下に入る事が「勝ち組」と思われて来た。それ以外は「負け組」となる。

(ドイツで仲良しになった、アナキストの青年と。「X」は、核燃料最終処分場を阻止した印。いざとなったら、みんなでまた闘うぞ!って言う意味なんですね。)
本当は、「勝ち組」か「負け組」か何ていう二律で人生なんて決まらない。
例えば外国に行ったら?学歴も権威も、そんなものは通じない。
人としての自分で勝負して行くしか無いのです。
グローバリゼーションの時代って、これまでの「当たり前」が通用しない時代なんだと思います。
困難を恐れず、失敗を糧にしながら世界の人に結びつく生き方が新しいものや時代を切り開いて行く。
つまり個人の尊重を建前にしていては通用しない時代に入っている。
ネットで、誰かを叩いても何の力も付かない。
自分自身の想像力や考える力。ワクワクする挑戦。そこに向けたビジョンや情熱。
「安定」を求める心では、ワクワクではなくくたびれるばかり。イライラして怒りっぽくなる。みんな同じ様な、建物に住む。
私の心も枯れかけている。
するとワクワクしながら生きようとしている人の時間泥棒になってしまう。
反省と言うより、自分自身が本当に新しいワクワクチャレンジをしないとダメになるな~。なんて思います。
みなさんは、心からワクワクできていますか?なら、ワクワクしたい人の時間泥棒ではありませんね。
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