有り難う!
良い事も、悪い事ですら有り難いのでは?
そんな風に思う様になって来ました。生きておれば、どちらにも学ぶ事ができます。
昨晩の乗務の時には、ベトナム人実習生から不意に「いつもありがとうございます」とミカンを頂きました。

バスの運転を外された時に、外国人実習生の送迎や健康診断の仕事もしていました。
雇用契約書を見る機会もありましたが、17万円くらいでした。日本の受け入れ機関には、受け入れ会社から3万円ほどの管理費が支払われるはずなんですね。それが引かれた賃金から仕送りをしたり、日本への送り出し機関へ支払いをしたりするのだと思います。そして自分の生活もしなければなりません。円安で、5倍あったレートが2倍にもならなくなっているとベトナムの人に聞いた事があります。つまり、異国に出稼ぎに来ても、旨味は少なくなっている訳です。
そんな若者たちに、無事で少しでも楽しく過ごして欲しいと「おはよう!」「おかえりなさい!」「気をつけて!」と毎日、一人一人の顔を見ながら声を掛けて来ました。
日本人だろうと外国人だろうと、人が生きて、いてくれる事自体が有り難い事なんだと思うからです。
経済的には決して楽では無いと思うので、私に何かしてあげたいと思ってくれるだけでとても有り難く、その心が沁みます。
「有り難うごさいます。」と笑顔で返すしかできませんでしたが。

今朝は、久しぶりにバスの窓が凍っているのが見えました。ちょっと厄介だな〜と思いながら、鍵や書類等一式を事務所で取ってバスに行きましたら「ん?溶けている!」と驚きました。
こんな事をしてくれる同僚は?と考えると直ぐに思い浮かびました。探してお礼を伝えると「何があったの?」ととぼけるのですが「こんな事をしてくれるのは◯◯さんしかおりません。有り難うごさいました。」と深々とお辞儀を致しました。ただ笑うだけでしたが。
本社のバスドライバーに復帰してまだ3ヶ月ちょっと、教えてもらう事はあっても私から何かできた訳ではありません。
どうしてこんなに良くしてもらえるのか分からないのですが、心から有り難い事だと思います。
有り難いと言うのは、有る事が当たり前では無い。人の存在そのものに感謝すると言う仏教の教えから来ているのですね。
なので、あなたに感謝すると言うThank you!とはちょっと違う意味が込められている様に思います。
何かをしてくれたから、ものを頂いたから有り難うではなく、あなたの存在そのものが私に取って有り難い。
そう言う思いを込めて、バスに乗ってくれた一人一人にもあいさつします。
ずーっと仏頂面だった人も、ちょっと反応してくれる様になったりしてくれるのが不思議です。
私には、あなたの存在が大事なんです。と言う心が通じる様に思います。
単に形だけだと、通じないのだと思います。
つまり、私の行為が形だけの嘘であるかどうかが、いつも問われているのですね。
形だけなら嘘つきになってしまう。
自分が本心からしている事なのか?
それを人は見分ける。ひと時はだませても、毎日毎日、長い間にはバレてしまう。
「辻川。毎日一緒に働く職場ではごまかしが効かないんだ。」と言う私の労働組合の恩師の言葉も忘れません。
今の会社の現場責任者の裏表の無い厳しい姿勢にも学ばさせて頂きました。
仏教から来た言葉に「自業自得」と言う言葉もあります。良い行いも悪い行いも自分に返って来る。
冷や飯を食う事になったのも、思いやりを受けられる様になったのも、蒔いた種は自分なんですね。
どんな状況であれ、そこから人から何を学び、自分が何をするか。
地獄にするのも、極楽にするのも自分次第。
そう教えて来た、日本人の歴史の先達たちがいて私たちはいる。
それが、とても有り難い事なのだとしみじみ思っております。
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