辻川慎一つくば便り

清々しい朝、清々しい孤独。

晴れた朝の空気が清々しいですね。

出勤途上の山林に、藤の花がたくさん咲いて垂れておりました。


手入れされている感じではありませんが、それはそれで季節の風景として楽しませて頂きます。


バスの運転も、朝はとても気持ち良く感じます。新緑の木々や次々と咲く花たちに、なんて豊かな自然がある国なんだろうって思います。

広島に原爆が落とされて「100年は草も生えないだろう。」と言われていたそうですが、あっという間に雑草だらけになったと言います。

江戸時代に日本を訪れた海外の人たちは「緑の国」として驚いたとの事です。

その自然の豊かさに甘えて、欧米を見習い追い越せと荒らし続けて来た傲慢さを反省し、自らを見直さないととんでもないしっぺ返しが来る様に思います。



清々しいには、いろんな言葉が続きます。「清々しい孤独な時間」だったり「清々しい貧しさ」なんて言うのもあります。


一人でいる事が悪い訳ではありません。一人の時間を大切に持てない人は、他の人の時間を大切にできない。
多少自由になるお金があっても清々しくない人もたくさんいますね。

要するに心の問題なのだと思います。

「清々しい人」とは、心がすっきりとしていて、爽やかで気持ちが良い、または、素直で誠実な態度を持つ人、または、困難を乗り越えて達成感を感じている人のことを指します。

とありました。
要するに、人の清々しさと言うのは心の持ち方なんですね。

5月の風や風景の様に、私も清々しくあれたらなと思います。


野原を良く見ていると見つかる小さなネモフィラの様な花。「オオイヌフグリ」なんて可愛そうな名前が付けられております。


別名は「星の瞳」。その方がしっくり来る可愛い花です。


ちなみに実がなるとこんな形をしているので犬の「フグリ」つまりたまたまちゃんにされちゃった訳です。まあ、これはこれで可愛いと思います。


色々と人の嫌なところばかりを見てばかりいると、自分の心が乱れ、人相も悪くなるばかりの様に思いますので、結局良い時間にはなりません。

限りある時間をどう生きて、過ごすのかは任されていますね。

何があろうと懸命に小さな花を咲かせ続けている植物を一人愛でながら、そんな事を思います。


それから、こんなのを見ているとやっぱり宇宙があるよな〜って思います。



「ヘラオオバコ」の花にも小さな宇宙を感じてしまいます。生命は宇宙から来て進化して来たんだな〜って感じます。


何も凄い景色ばかりを良いとは感じない私がおります。

偉い人ばかりが凄い人である訳ではないのと同じ様にです。

成し遂げられた事は何もない。失ったものはたくさんある。でも失いながら得て来たものはある。自分の心の世界は広がり続け、深くなって来た。

だから清々しいものを清々しいと感じる時間を得ているのだと思います。

それを共に感じてくれる仲間たちがいる。

それぞれに孤独な時間がある。だからお互いを大切に思えるのだと思います。孤独をしっかりかみしめるからこそ、人を愛おしく感じられるのだと思います。


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