辻川慎一つくば便り

愛はきらめきの中に

「いつかは別れの時が来るんだよ。」と85才になっても90才になる父を乗せて、車を運転し買い物や病院に連れて行く母の言葉です。

「ご近所にパトカーが3台も来たよ。昔だったら家だったのに。お前が危ない事ばかりしてたからね。」と言う。「そうだね。心配ばかりかけてしまったね。」と謝る私。

そして警察にマークされなくなった今も「バスの運転は大変だから気をつけてね。余計な事は考えないで。」と別の心配を致します。

もう「大丈夫だよ。心配無いよ。」とは言いません。「分かったよ。気をつけるね。」と返します。

気持ちは、はね返すのではなく受け入れるもの。私にもようやく分かって来た様です。


ワンパターンだと言いながら、私が訪ねると好物の料理を並べてくれます。


調理師の免許も取って小料理屋をやった事もありました。お客さんは入っていたのですが、長年の夢が叶ったからとやめてしまいました。

大型自動車の免許まで取りましたので、運転にも厳しい人です。

父と子どもがいなければ別れていたと言う母の人生や心について、ちゃんと聞いて来なかった事を反省しております。


いつも感心するのは、安売りを狙って買ったと言う花を、毎年咲かせている事です。シクラメンが満開で、間もなくバラが咲き始めます。


鉢の土も買った時のままだと言うのですから、信じられないくらいミラクルです。

でも私には分かる気がします。
花にも心から語りかけているに違いないのです。

仏壇の息子(母の孫)に毎日ご飯とオカズを上げながら「武人、いつも同じでごめんね。今日は◯◯だよ。」と声をかけております。「武人が可愛そうだから」と言います。

花も毎日世話をして、言葉をかけているに違い無いのです。花にも心が通じるから、花を咲かせてくれるのだと感じます。

私は、その母の子でありました。



実家の本棚に置いてあった、瀬戸内寂聴さんの本を再読し始めました。


やはり、年を重ねてから読み直すと以前とは違いますね。


「人は別れるために出会うと言う一語につきる。…もし、永遠に滅びない生命であったら、それは何と苦しい事だろうか。もし永遠に衰えない恋があったら、それは何という刑罰であろうか。滅びる約束があるからこそ、一日一日が惜しまれなつかしいのであり、衰えることわりに支えられているからこそ、刻々の愛がきらめくのである。」

母との出会いと言うのは、生まれてから最初の人との出会いと言えます。出会った時から、別れる定めになっている。でも、永遠の様に錯覚して、その愛を当たり前の様に感じてしまうのです。永遠の別れが訪れてから、ようやく取り返しが付かない事に気付く。

衰え、やがて滅びる事から目を背けたり、考えない様にしたりするのでなく受け入れて行く事で刻々の愛はきらめくのだって事が分かる様になって来た様に思います。

母や父の言葉や心をようやく素直に受け入れられる様になった私がおります。静かでありながら、きらめく様な時間を共有して参りました。

https://youtu.be/pIZqE45dRhU?si=gShT-L7cpb0J0VDL

そう言えば、私が好きだったビージーズの曲に「愛はきらめきの中に」と言う歌がございました。


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