辻川慎一つくば便り

月曜日のゴミ出し

みな様また新しい一週間の始まりです。

一週間の始まりは、お湯を沸かしコーヒーを入れる。ゆっくりと柔軟体操をやる。そしてゴミ出しと庭に水を撒き、ミニトマトを収穫する。


(サルスベリが満開でございます。)


昔読んだ小説から感じた時間感覚と、現在の時間感覚の違いは何だろう?

なんて考えました。
昔の人たちには、死がもっと身近にあった様に思うのです。

つまり、命にも、時間にも、全てのものに限りがある事を感じながら描いていた様に思うのです。

限りがあると言う事が不幸なのかと言うと、逆にささやかな事への幸せの感じ方が深く、濃い様に感じます。


(風船カズラの風船が出来て来ました。)


限界が無く、超えられると言う感覚は果たして幸せなんでしょうか?

人間が作り出したものには全て、人間の意思が込められていると言います。

命にしても、作り出すものにしても限界を見据えるからこそ意思が輝くのでは無いのか?

限界を見据えるところから、本当に生きる事が始まるのかも知れません。だから本当に生きる人は、簡単に限界だとは言わないのですよね。

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