晩節(終わりの節目に)
きっと戦争の時にもそうだったかも知れません。国鉄分割民営化で、3人に1人はクビだと言われた時に「同じ釜の飯を食った」と言っていた先輩方が、人を踏み台にして自分が生き残る醜い姿をさらけ出しました。
特に、労働組合の幹部や役員が酷かったのです。
だから、私たちは例え茨の道だとしても自分たち自身の労働組合を作りました。
無謀だと思われましたが、未熟ではあれ若き労働者が集団で真剣に生きる姿を見て、実は色んな人が影で心を寄せてくれました。

(「ヤマボウシ」は山法師。僧兵の様に清廉に咲くイメージなんですが、その通りだと思います。)
「晩節を汚す」あるいは「晩節を全うする」とか言う言葉をご存知でしょうか?
年寄りになってからと言う事だけではありません。
人はいつ死んでしまうか分かりませんので、最後を汚すかどうかは常に問われているのですね。
それから、人生には節目、節目がありますので、その節目を汚してしまう事も「晩節を汚す」になる訳です。
国鉄分割民営化も、当事者に取ってだけでなく、社会全体の節目でした。
ですから大きな節目をどう生きるか?が、人として、労働者として一番重要な問題だったのだと私は思います。
口では立派な事を云いながら、それをまともに聞いた人を踏み台にして、自分の評価を高め、生き残る。
それが、実にいやらしかった。
たくさんの失望を生んだ。
だから、そうしないと言うのが私(たち)の原点でありました。
それは、日本の戦争や政治に対する私たちなりの晩節の全うの仕方だったと思います。
だから自分の利益のために仲間を裏切らない。自分のために仲間を売らない。仲間を大切にする。そして、バラバラにされた全員で鉄道職場に復帰する。と言う事を私たち自身の労働組合の目標にした訳です。
その点では、その目標を23年かかりましたが完全に達成して、差額賃金も慰謝料も勝ち取る事ができました。小さな労働組合の大きな勝利だと思います。

しかし、人生にはいくつもの節目が訪れます。
だんだんと退職期を迎える。
それもまた大きな節目です。そこで仲間たちを見失い、自分が会社や組織に評価されたいと思えば、結局「晩節を汚す」事になる。
仲間を売る事で得られる「評価」が綺麗な訳がありません。
晩節を全うするとは、別に大それた事では無いと思います。
大切な人を思いながら、日々小さな努力を怠らない。自分の大切な人たち一人一人、ものたち一つ一つに感謝し、いつ終わっても後悔の無い様に生きる。
私は、既に十分に大切にされて来ました。その恩返しに、これで良いと言う事も無い。
だから、初志に立ち戻り、日々感謝しながら努力する。仲間たちに恥じない生き方をする。
それだけの様に思うこの頃です。
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