辻川慎一つくば便り

明日が普通でいられるという前提が崩れる

戦争があり、戦後復興があり、その中軸を担って来た国鉄が分割民営化されました。そこで働いて来た人たちは、厳しい労働の中で誇り高く働いておりました。

しかし、困難な時代を超えると別の困難が来たのです。当たり前にして来た前提が崩れ、国鉄は民間会社にされ3人に1人は解雇される事になりました。

そうしますと、それまで立派な事を言って来た労働組合の幹部から逃げ始め、自分は生き残りたいと言う人が上手く立ち回り、人の良い人たちが取り残されて行きました。

今思えば、いざとなった時の人間の嫌な面をたくさん見せられて来た様に思います。

私はと言えば、時代や社会に翻弄される事自体が嫌なのでそれに立ち向かいました。


(畑の雑草。ナズナとホトケノザが咲いております。何故か雑草の花にも惹かれます。私の雑草魂でしょうか。)


五木寛之さんが、敗戦で平壌から引き揚げる時にも、実は同じものを見て来た事を知りました。国が言う日本の勝利を前提にして、ラジオ放送を信じていた人は逃げおくれた。突然攻めて来たソ連兵に追われ、我先にと逃げた人が助かり「お先にどうぞ」と譲った人たちは帰れ無かった。つまり、心優しい人から死んで行った事実を書いておりました。

では、未曾有の災害であった東日本大震災と原発事故の時はどうだったのでしょうか?美談に惑わされずに考えれば、やはり人のためにと言う人から先に死んで行ったのではないのか?と思うのです。

いずれも、これまでの様に続くと言う前提など無いのだと言う事を示してはいないでしょうか?

国際社会では、そんな前提は無いと言う前提に立っている様に思います。それが歴史の教訓なんですね。プーチンは何故生き残っているのか?トランプは何故大統領に返り咲いたのか?世界のそれまでの前提が崩れているからの様に思います。


(JRの後輩が送ってくれた労働団体の新聞です。安全神話の前提が崩れた原発推進を政府が決めたと書かれてあります。)


今思えば私の闘いのテーマは、心優しくお人好しの人たちが生き抜くためにはどうすべきか?だった様に思います。

当たり前の様に思われている前提は、いつ崩れ、崩されるとも知れない。その嵐にのみ込まれずに、一緒に生き抜いて行くためには、前提を疑い、嵐に翻弄されない事。言わば不意打ちを食わない事。いざとなった時にみんなで決然と立ち向かえるために。

そうやって、国鉄分割民営化に仲間たちと闘い抜いたのだと思っています。

そして、私たちは負けなかった。

しかし、それで終わった訳では無い事を、労働団体の新聞記事が示していると思います。

原発だけではなく、大地震の危険はどこにでもあります。首都直下地震が襲う可能性も高いのです。戦争の危機もいつ何時あるか分からない。年金も、雇用もいつ崩壊するか分からない。そして、通貨も崩壊するかも知れません。

全ての前提が崩壊した時に、逃げる術が無く、人を出し抜けない優しき人々はどうやって生き抜くのか?

そのために必要な本当の事は何か?
それを考え、準備する必要があると思います。

過去のしがらみを全て絶って、一緒に闘って来た仲間たち以外に何もないところから始める。何もないからこそ考えられる事の様に思うのです。

つながりのあるたった一人になる事で、きっと見えて来るものがある。

14年目の3・11の日に私が思う事です。


今日は、会社の代表取締役からつくば市上郷にある「松辰」のラーメンをごちそうになりました。なかなか美味しゅうございました。私を「慎ちゃん」とファーストネームで呼んでくれます。3・11、親会社倒産、コロナ禍、どんな非常時にも賃金の遅配欠配を出さなかった中小企業の経営者です。

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