辻川慎一つくば便り

日常生活で真っ直ぐ立つこと。

よく見るとイチョウの葉が黄色くなりはじめたり、紅葉が始まっているのですが「危険な暑さ」が続いております。

そんな中で、明日から福島第一原発の放射能汚染水が放出されるとの事。

海は広いので汚染なんて問題無い、トリチウムに害は無いと言って「責任は私が取る」とは岸田首相の言葉です。

問題の根本である原発事故の処理の見込みが立たない訳なので、あと何十年もたれ流して行くのに「影響がない」とか「私が責任を取る」だとかに何の根拠があるのでしょうか?

土台、その時には、岸田首相も政治家たちもこの世にはおりません。

「我亡き後洪水は来たれ」と言う言葉通り、これからの世代の事を本当に真剣に考えての事とは思えません。

その上で「私たちは反対ている」と政治的損得勘定で主張している人たちも、実は自分たちの事しか考えていないのでうんざりします。

虚偽は虚偽。嘘は嘘。
幻想から目覚めたところから、新しいものが生まれて行く。

そんな風に思ったりしています。


(わが家の庭に住むアマガエルさん。何だか哲学者みたいに見えます。)


土浦日大高校、準決勝で緊迫した攻防を見せてくれたみたいですが決勝に行けず残念でした。

色んな話が伝わって来ますが、これまで茨城大会で善戦しながらどうしても甲子園に行けなかった。

そこで見直したのが、自分たちの日常生活だったとの報道もありました。

自分たちの日常生活を自分たち自身できっちりやる。掃除、洗濯、片付けを他人任せでなく自分たちで責任をもってやる。

彼らの寮は、とても綺麗だそうでございます。

どんなに立派な事を言っていても、自分の生活の土台がいい加減では人としてだめ。

そこからチームとして立てたのですね。そこが「快進撃」の土台だった。
とても納得できます。

「野球」と「ベースボール」の違いを見る様な思いもいたします。

私自身も、日常生活と言う土台を差し置いた政治運動や労働組合運動をやって来てしまいました。

そうだと、やっぱり根本が弱かったと思います。

不本意ながら、使命や義務でやり続けるなんて事に力なんか生まれる訳がございません。

ギリギリの精神状態の中で、妻が言い続けてくれたのも「日常の大事さ」でした。


先日は、私が朝食を準備しました。汗をかきましたので、シャツを肩に掛けた状態で失礼します。


妻が「真っ直ぐ据わって、お腹を引っ込めて!」と撮ってくれました。

すると無いと思っていた腹筋が、現れていたのでした。

「骨盤を立てて真っ直ぐ座らないと姿勢が悪くなる。腰も痛めます。」と言います。やはり日常からなんだと改めて思います。

日常だらしなくして、こまったら医者や薬頼みだと金儲けの餌食にされるだけかと思います。



薬やワクチンは、人間本来の免疫力や生命力を激しく奪っているのでは無いかな?単に高齢化だけの問題では無い様に思います。


私たちは、日常から、そして人としての姿勢を立て直すところから力を生み出せる。

高校球児たちからも学ぶ事があると思った次第です。

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