辻川慎一つくば便り

ドライバーをやりながら

昨日は、ほぼ一日中車の中で過ごしました。

ドライバーと言えばドライバーらしい一日かも知れません。

午前中は、外国人実習生を配属先に送る仕事でした。

千葉県柏市、手賀沼の近くでございました。

待機時間がありましたが、田んぼと自然以外に何も無い場所でした。


それでも夏空は、綺麗でした。

若者たちに取っては、都市部の方が楽しいだろうな~なんて思ってしまいます。

車が無いと身動きが取れないのが現在の地方の実態だよな~と改めて思います。

国鉄が分別民営化される以前は、田舎でも公共バス路線があり国鉄バスが走っておりました。

モータリゼーションと採算重視で社会全体を変えて来た結果を眼の前に見ている感じがいたします。

年を取り身動きができなくなると「採算」に合わない。なのでまるで「収容所」の様な老人施設に入るしかない「運命」なんでしょうか?

老人施設も職員不足で、良い人ばかりとは限りませんよね。言葉の虐待もあります。

それに耐えながら余生を過ごすのが一体幸せなんでしょうか?

日本は、1995年から人口減に転じてそれまでの勢いある社会では無くなりました。

社会の前提が大きく変わった訳ですが、私自身も含めてそれ以前の発想のままだったかも知れません。

以前の発想が、通用しなくなった様に思います。

なのに昔を前提に、これからの事を安易に考えてしまっている様に思います。


(私の頭の毛は、ずっと妻が刈ってくれています。)


私は2000年代に、仲間たちと一緒に自分たちの人生と歴史の総決算をかけた様な闘いをJRを舞台にやり抜きました。

やり切ったからこそ、限界が見えた訳です。

その限界ってのは、頭の働きだけでは動かないものがあると言う事かも知れません。人間は、心から動く事でその命を全うする。

欲と不安にかられた発想の枠内にいるうちは、命を全うするどころか息が詰まっている状態な訳です。

つまり悪いものが溜まり続けてしまうのですね。

「過去の栄光」で生きた今を縛るなんてのはできないし、それは悪にしかならない。それが20世紀に私たちが見て来たものの様に思います。

欲や不安を溜めずに、生き抜くとは何でしょうか?

「現代の収容所」に行ってから後悔する前に、心から考えなければならない事の様に思います。

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