辻川慎一つくば便り

心の風景

週末の昨日は、小学校の送迎バスだったので、金曜ラッシュの夜を走り続ける事は免れたのですが、やはり疲れていた様です。帰宅して20度の焼酎のお湯割りを、届いたばかりの本を読みながら4杯ほど頂きましたらもうダメでございました。


(200円の中古本で表紙がありませんでしたが、私には宝箱の様な内容です。) 


中学生の時に、今は倒産して無くなってしまった常北町にあった「石塚観光」のバスで鎌倉に行った時だと思います。

首都高速でのお昼に、母が作ってくれたおにぎりを食べようとしていました。渋滞していたのだと思います。対向車線の若いトラック運転士さんと目が合いました。

その運転士さんが、にやりとしました。私も何だか可笑しくて、微笑みました。一瞬なんですが、心が通い合った事を半世紀以上過ぎても記憶しているのです。

そんな記憶が、バス運転士になった私を支えているのかも知れません。


(「わあ~何だか遠足見たいだ。」と子供たちがはしゃいだ昨日のバスです。)


一瞬の光景であり、心の触れ合いなんだけどずっと心に残る記憶ってあるのですよね。それが、人に対する信頼感を支え続けたりするのです。

だから、今度は私が一瞬一瞬の触れ合いを大事にしたいと思っている。

ベトナム人の女の子が「私の顔を覚えてますか?」って何度か聞きました。マスクをしているので顔が見えませんが、頭にカールを巻いていましたので指でクルクルして「これでしょう?」と言うと嬉しそうにしました。

それから、ちょっとしたお菓子等をくれる様になりました。

「辻川さんに手を振ったのに気付いてもらえなかったよ。」と言ってくれたのは、特別支援学校のバスに乗っている介助人さんでした。

同じ会社のバスがすれ違う時には、運転士同士で手を上げてあいさつするのですが、車内にいる介助人さんまで見る余裕が私にはまだ無いのです。

なので「ごめんなさい。無視した訳じゃないんです。」と謝ります。どのバスに誰が乗っているのか?が分かっていれば良かったのですが。

私を見て。私を忘れないで。って特に女性から伝えられる様に感じます。

それが特別の関係になると「私だけを見て。」になるのかも知れません。でも実際にはそうは行かないので難しいのだと思います。


(筑西市関城にて。4月から5月にかけて「スイバ」と言う草が赤く色付きます。)

今の人は、「心の歌を歌うけど、風景の歌を歌わなくなりました。心は風景と共に記憶されるので、風景の無い心は不安定なのだと思います。」私が読み出した本に書かれてありました。


なるほど。確かにそうですね。
昔の歌声喫茶では、日本の歌だけでなくロシアや外国の歌が歌われていました。

見た事の無い異国の風景を想いながら、みんなで声を合わせて歌ったのですね。

マイナーの歌は暗いと言われますが、西洋以外では圧倒的にマイナー調だそうです。どうも西洋の東洋へのコンプレックスが、メジャー調が良いとされて来た根本にある様です。

「脱亜入欧」でひた走って来た日本ですが、庶民は演歌等のマイナー調が自分たちの心に合って来た。そして、フォークソングもマイナー調が圧倒的でしたね。

歌を歌いながら風景を想う。そこで違う心が合う一瞬がある。だからその記憶を忘れない。それは世界の人々にも通じているのだと思います。

そう言えばJRの仲間たちともカラオケに行って、良く一緒に歌を歌いました。

今日は、その仲間たちに労働組合のOB会があって会いに行って来ます。その一瞬の時を大切にしたいと思います。

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