辻川慎一つくば便り

心の旅

3月になったら、辛い氷点下の朝から解放されそうです。しっかり辛い時を感じるから、有り難さもしっかり感じられる様に思います。

長年信じて来た組織の人たちに手のひら返しを受けて、人間不信状態にあった私を救ってくれたのは長年の仲間たちでございました。

「賭けて来た全てを失った」と勝手に思い、仲間たちの顔も見れなくなっておりました。もう労働組合でも、組織でも幹部ではない。だから全てを失った。そんな気持ちだった様に思います。

そんな私に寄り添ってくれた人に背中を押してもらい、仲間のところを改めて訪ねた時がありました。


動労水戸の木村委員長に会いに行ったのですが、写真で「運転士を発令せよ!」と言う横断幕を掲げている仲間を、偶然常陸大子の駅前で見かけました。声をかけるべきかどうか迷う私。でも、思い切って話しかける事にしました。


そうしましたら「私は辻川さんと一緒に闘って来ました!」と胸を張って言ってくれたのです。

自信を失っていた私には、想定外の言葉でした。そんな風に思っていてくれたんだと、冷えていた心が熱くなりました。

その彼は、今も不屈に頑張って職場環境を変え続けていると聞きます。その事にまた熱をもらっています。


私自身が、仲間たちに不屈の熱を伝え続けていたのかも知れません。


過去の「栄光」を懐かしむために振り返る訳ではありません。

自分が何者であったのか、そして今とこれからをどう生きるべきなのか?
そのための振り返りだと思っています。



こんな記事もありました。

「仲間とは、共通の目標や価値観を共有し、支え合うことができる人々のことを指します。心を合わせて何かをいっしょにするという間柄をかなりの期間にわたって保っている人。そういう間柄。」

と言う解説もありました。

では、私たちの共通の価値観とは何だったのでしょうか?

組織のためでは無かった。人を人として尊重しない事との闘いだったのだと思います。だから、仲間への不当な仕打ちを許さなかった。

いざと言う時には、来てくれると言う期待よりも、私が必ず行く。それをやり続けた結果だったのだと改めて思います。

直接の結果が上手く行った事ばかりではありません。ほとんどは、上手く行きませんでした。しかし、いざとなったら駆けつけて、仲間のために闘う人がいる。それが何よりの生きる励みになり力になったんだ。

そして今、その仲間たちから力をもらい続けている。

その姿を、遠くから見続けてくれた仲間もいる。

それをしみじみと実感する日々です。

家族と言うのも、あまり近過ぎると分からなくなってしまうのですが、本当は一番身近な仲間なんだと思う様になって来ました。

やってもらうと言う期待でなく、自分に何ができるのか?

人生には、表には見えない心の旅がある様に思います。それは感じる事でしか分からない永遠の旅なのかも知れないと思いはじめています。

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