悠久の時間
60代になって、落ち込む事の連続と言う感じです。
勢いでやって来たつけがドーッと来ているのかも知れません。
私よりも力任せに生きていた人たちは、どんどん亡くなってしまいましたが、私にもしっかり来ている様に思います。
もっと気楽に生きられたら良いと思うのですが。やはり難しい時代なのかも知れません。
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五木寛之さんがインドを訪ねた記録的著書を読みはじめました。
ブッダのルーツを訪ねたのです。
めちゃくちゃ時間感覚が違い、日本からするとルーズのレベルを超えているのですが、そこに悠久の時間が流れていて慣れて来ると解放感があると言います。
私も東南アジアの国に行った事があり、インドほどでは無いかも知れませんが時間の流れの違いに解放感を感じたのは同じでした。
ちょっと昔の沖縄でも、時間感覚がゆったりしておりました。
そう言う世界に生きている人からすれば、秒単位でギスギス動くなんて「クレイジー」なんですね。
そして、今やIT大国と言われるインドですが、都会を離れるとそのまま数千年変わらない姿があると言います。
東京と関東、東北の違いなんて言うレベルでは無い想像を絶する地方の生活がインドの大半で、話される言葉も10種類以上ある。方言でなく言葉が違うらしいです。
地方に行くと電気も無く、当然街灯なんてものは無いので真っ暗。何も見えない中を人々が動いている。
五木さんの感想が面白い。
「真っ黒であっても、動いている人たちには見えている。人間は自分の能力の大半を使っていない事が分かった。」とそんな感想を述べています。
なるほど〜と思う事があります。夜のラッシュアワーを走る様になった当初は、対向車のライトが眩しかったり暗い道を走ったりと良く見えないので、めちゃくちゃ目が疲れました。雨の日なんか最悪で、油膜や道路の水の反射で恐ろしく見えなくなります。
一体どうすれば?と嫌がられても徐行
してきた訳ですが、回数を重ねて行くと見えて来るんですね。
どうやら年のせいで見えないのではなく、自分の能力がまたまだ使い切れていないと言う事だった様に思っていたところでした。
つまり不便で大変なところでは、人間の使われていない能力を使う事で対応すると言う事なんですね。
そんなチョー不便で、チョー時間の流れがゆったりしたところでブッダが悠久の教えの悟りを開いたと言う事です。
人間の能力全開だったのかも知れません。
私たちは、今置かれている世界を前提にして、あくせく懸命に生きている訳ですが、世界はそれだけではない訳です。
私には現実性が無い、頭の世界で生きていると言う人もおります。
だから、今の現実には通用しない。なので失敗ばかりで格好悪い。人の気持ちが分からず、常識も無いので恥知らずなんです。でも現実って、住んでいるところ、生きて来たところで違うのだと思います。
本当はみんな時間軸が違っていたのを、資本主義化する時に無理やり合わせた訳です。そうしないと合理的な生産も戦争もできないから。
不合理な人は、必要ない。
そう言う淘汰のされ方をして来たのだと思います。
どうにも、私はそんな不合理で、資本主義的生産に合わない人たちに仲間だと思われる事が多かった。
理屈を語りながら、理屈に合わない生き方をしてきたのですね。
ヤクザも生きづらくなりました。
本当は、私も生きづらいのを仲間たちがフォローしてくれて気づかなかったのかも知れません。
やはり私は、きっちりとした正統派にはなれなかったのだと思ったりします。
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