辻川慎一つくば便り

待つ力

昨晩から今朝にかけて、かなりの強風でした。破れた網戸の修理は、道具がありますので網さえ買えば簡単なのですが、大きく育ったミニトマトの枝が何か所か折れて、もう少しで色づく実が20個ほどダメになったのはちょっとガッカリでした。


(ぐるぐるヒゲで自分で支えているキュウリは大丈夫でしたが、右のトマトがかなり折れてしました。「柔よく剛を制す」と言う言葉が思い浮かびます。)


う〜。ただ待っているだけで上手く行くほど甘くない。

やはり日頃から良く観察して、的確に援助しないと上手く育ってはくれないのだなと学習した次第です。

考えて見ますと、私たちは待つと言う行為を毎日の様に重ねています。

特にバスの運転を生業とする様になってから、待つと言う行為をどれほどしている事でしょうか?

ある意味では、待つのが「商売」の様な感じです。

と言う事は、「待つ」を苦痛に感じるのか、それとも有意義に楽しめるかで私の人生は変わってしまうのではないか?
なんて思ったりします。


(残業ながら見ごろの霞ヶ浦水郷公園の蓮の花も、強風でかなり散っておりました。)


数秒、数分待つのが損だと際どく交差点に突っ込んだり、まるでレースの様にスピードを出してクルマを走らせる人がたくさんおります。

私だってそうでした。事故に遭わないで来たのは、ただの偶然であり幸運です。

しかし、そうやって人生や人の命までかけて生み出した数分で、どれだけ充実した時間を過ごせたのか?と言えば…。

良く考えますとただの自己満足にしかなっておりません。

としますと「待つ」と言う行為は、受け身の様でいて、人間としてはかなりポジティブで豊かさを伴う事で成立するのだな~と思います。

ぼ〜っとしているのは、待っているとは言えないのですね。

人に対しても、植物や動物に対しても待つと言う事は、相手を良く見て「信頼する」から待てる。それは、自分自身への信頼が無いとできない行為なのだとも思います。

究極の「待つ」行為は、自分自身の死でしょうか?待てない人は、死に急いでしまうのですね。

狭い日本、そんなに急いで、どこへ行く?なんて言う言葉もありました。
ファストフードも大流行り、急いで走って、急いで食べて、遅いと腹を立てて、怒鳴り、指を立てる。人の話を遮る。

何が楽しいのか、一度立ち止まって考えた方が良いと思います。先ずは、お偉い政治屋さんたちからですが。

https://youtu.be/RxRMVdejXUg?si=jemHgO1oDiv1lewY

(私が7才の時に、大流行した「松の木小唄」。ネタが古くてすみません。小唄と言うのは室町時代からあるそうでございます。)

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