張り切る自分から引っ込んだ自分へ
トラック荷台のコンテナゲージをリフトで降ろす作業をしていましたら、バランスを崩して座り込んでしまいました。
辺の人に注意しながら、自分でリフトを扱っていましたので大事にはなりませんでしたが、足腰が弱っている事を否応なく自覚した瞬間でございました。
色んな経験を積んでおりますので、出来る事も増えて来た訳ですが張り切って前に出る年齢では無い事を自覚した次第です。
「少し引っ込んだところから自分を見れる」事ができる様になれると言うのも、人てしての心の成熟なのかな?なんて思い直しました。
妻も帰りが遅かったので、新大久保コリアンタウンで「キンパ」を買って来てくれました。
私も疲れた顔をしておりますが、ヘトヘトになると姿勢が崩れてしまいます。
今日は一転して介助人さんの研修になりました。
また、新しい子どもたちに出会いますし、その責任の重さに緊張も致します。何度も目覚め、早く起きました。
忙しく流れて行く日々ですが永遠に続く訳ではありません。張り切るよりも、少し引いて自分を診ながら一瞬一瞬をなるべく大切にできたらなと思います。
「かわいい年寄になって行かないと、嫌われるだけだよ!」とは妻の助言でございます。
確かに、いつくになっても自分が前面に出て、怒りっぽい年配者が周りにもいます。
周りが引くのには、理由があります。権威や権力があればそれにひれ伏しているだけな訳であります。
人や物と共に生きて、そして生かされている。
それを感じられる年寄になって行きたいと思います。
少し引いて、落ち着いて見る。
今日からの私の課題でございます。
みなさんも無事で、良い1日をお過ごし下さい。
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