辻川慎一つくば便り

そうだ!コスモスを見に行こう。

おはようございます。

猛暑がようやくおさまると、急速に秋めいて来ました。きっと今年も紅葉が綺麗だと思います。慌ただしくやり過ごすのではもったいないですし、せっかくの自然の世界の素晴らしい彩りを心に刻んで行きたいと思います。

昨日は、久しぶりにスクールバスに乗り介助人さんの「見習い研修」でございました。ドライバーさん、介助人さんたちと久しぶりに顔を合わせると、みなさんが笑顔で迎えてくれるのがとても嬉しい。

留学生たちに会えば留学生たちも笑顔であいさつしてくれる。

孤軍奮闘みたいな1人作業もありましたが、空港に迎えに行ったりスーパーを案内したりしましたので私を覚えてくれているのです。

強風で倒れた留学生の自転車を起こしていましたら、クールな感じの中国人留学生が手伝ってくれて驚いたりもしました。

人は見ただけでは分からない。心で良く見ないと分からないのだと、そんな瞬間に思うのでございます。


(フウセンカズラの種には、ハートがあります。)

「見習い」をさせて頂いた介助人さんも、ドライバーさんにもとてもあたたかく迎えて頂きました。仕事を見ながら聞いて学び、次は自分で責任を取ってやる事になる訳です。

なので真剣に見て、学びます。
私も色々経験して来たからだと思いますが、改めて責任を持って働く人のその仕事ぶりに感心する訳です。

そして、子どもたちを無事に送り、回送になると楽しい話しをして笑い、詰まった息を解放する。

私も一緒に笑う。

見習いをさせてもらった介助人さんは、タバコが好きなのですが「朝は早いので食事はせずに薄めのコーヒーを飲みながら一服するのが、至福の時間なんですよ。」と言います。

私もタバコを吸っていた事はあるのですが、組合や政治党派の文章や「論文」を作りながらめちゃくちゃ吸っていて、咳が止まらなくなったのでやめた経過があります。

「至福の時間」って感じでは無かったので、何だか感心してしまうのです。

労働組合をやめた人なので、タイミングを見て聞いて見ました。「職場の課題を言っても、忙しいと何も返って来ないし、何もしない。中堅管理職が委員長で、会社に何も言えないのだから入っていても意味がないでしょう。◯◯さんもやめましたよ。」と話してくれました。

短期間ではありますが、色んな人に関わり見て来てこれた事は幸運だったのかも知れません。

外側から見ているだけだと分からないのですね。


(コスモスが好きな妻のために、庭に種をまきました。その花が咲き、妻が玄関に飾ってくれました。)

この会社では、一緒に働いていた人が辞めても後からそれを知る状況です。

「送り方が酷くないかな?」とずっと思って来ました。会社でできないなら労働組合がちゃんとやるべき。そう思うのですが、労働組合も同じなんですね。

それなら意味は無い訳です。

動物たちと人間の決定的違いは、人間は強い関係性の中で生きていると言う事なんですね。

それは、生きる事だけでなく死ぬ事にもある訳です。去る事、そして死ぬ事は、強く関係する人たちの了解と承認によって人らしい別れになる。

だから、「孤独死」みたいなのは人としてのちゃんとした死に方ではない訳なんですね。

震災や原発事故で救われなかった命の悲しみが、残された者に承認できないのも同じだと思います。

職場を去る事も、この世を去る事も人間の関係性おいて最も大切な共同の行為なのだと思うのです。

勝手に去るのも、勝手に死ぬ事も自分勝手で失礼な事なんですね。

それを合理的でないとする考え方に、人間性の否定がある。

国鉄分割民営化の本質と闘い、仲間を大切にしてギリギリに生きて来た私の結論でもございます。

妻は、お酒もタバコも大事にしています。私は、無茶な人生を反省して「至福の時」を一緒に過ごしたいなと思います。

そうだ今日は、コスモスを見に行こう!

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