辻川慎一つくば便り

天の道・王道を行く

みなさま、早くも12月30日。明日は、大晦日。新しい年を、少しでも気持ち良く迎えるために片付けや掃除等やっておきたい事がたくさんあるのですが、次々と想定外の課題も出て来ます。

結局思う様になんかならないのは、人生や仕事と同じなのかも知れません。

しかし、あきらめる事なく、一つ一つをなるべく丁寧にやり続けるしかないのかな?と思います。

人間の行為の目的は、実はその成果にある事以上に自分自身を整理し、立て直しながら進む事にある様に思います。

なので整理しながら、整理仕切れないと言う結果にしばられてしまうと、混乱と疲労感だけが蓄積するって言う本末転倒の事態になってしまうのだと思います。


(私のお出かけ用ショルダーバッグです。何年か前に、三鷹の鞄屋さんで妻が買ってくれました。そのサイドポケットに、いつの間にやらディッシュと除菌シートを入れておいてくれました。)


そんな訳で、私の方は28日までの乗務をやり、昨日は往復約400キロ移動で葬儀参列。今日もまた、ひたちなか市に所用で行かなければなりません。

どうも「大掃除?」は大晦日と言う事になりそうです。

まあ、終わらないですね。
年賀状すら書けておりません。

でも、それでも贅沢だと思います。
暮も正月も無く働いてくれている人たちがいる事で成り立っている私たちの「休み」だと思えば。

例えば、駅や電車の清掃をしている私の後輩たちは、みなさんが休みの日も働いております。

駅や電車が自動的に綺麗になっているのではありませんね。

仲間たちは、駅や電車を綺麗に磨きながら自分を磨き、人との関係を整理し磨いております。


私も大混雑のラッシュアワーの道を毎日走りながら、担当バスを毎日掃除し綺麗にしながら、実は磨いているのは私自身であり、整理しているのは人との関係ではないか?といつも思います。


「人事評価制度」と言うのがあります。ボーナスも昇給も無い私には関係無いのですが、結果を評価するのは会社の管理者なので、その目を気にした仕事になる訳です。

ところで現実の運転では、「評価」では測れないグレーゾーンがたくさんあります。評価どころか、法律通りが成り立たない場面に満ちているのです。

法律的に大丈夫でも、全く通用しない新人さんもおります。

法律や評価で全てが上手く行く訳では無いのです。

そして、そこにしばられてばかりいると現実には通用しない人になる訳ですから、内面は混乱して行くので幸せを感じられる事も無い様に思います。


(昨日、葬儀に向かう時に見た福島の空です。)


法やルールと言うのは、時代と共に変わります。しかも作った人たちの思惑や利害と言うのが反映しているのです。だから「強制」が伴います。

ところで、人間として変わらない道があるのだと私は思います。

私が考えた訳ではなく、ずーっと古くから考えられて来た事なんですね。

「天の道」

天を英語にしてしまうと「HEAVEN」(天国)になってしまう。日本で「天」と言うと本来は宇宙・自然の道理から来ているので神様とイコールではないのですね。

あまり気にされなくなっている訳ですが、前提が違う事を知るのは相互理解に取って大切な事なのだと思います。

「天」と言う文字自体が、「人」の象形文字である「大」の上に「一」を乗せていますので人の上にあるものを「天」としてできた訳です。

他の人を思い、天に恥じる事なく、天の道を行く。

それが人としての本当の生き方である。

そう言う考え方が、日本人の考え方に流れて来たと言う事はとても大事だなと思います。

西洋にも、東洋にも学ぶ事はありますが、それは自分たちの歴史や考え方をしっかり継承する事で成り立つ様に思います。

「王道」もまた、西洋の王とは違う様に思います。

天の道を知り歩む者が、こちらでの「王道」の様に思います。

バスを運転しながら「今のは王道じゃないな〜」ってつぶやく私がおります。

私のJR時代の仲間たちは、人としての王道をそれぞれが歩んでいる。
だから、理解し合えて来た。

そんな事を思います。

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