辻川慎一つくば便り

夕暮れにおはようございます。

かつては国鉄の電車運転士として数百人の乗客を輸送しておりました。それから労働組合の委員長としてJR東日本による25年の売店隔離。それを仲間たちと耐えて電車検修に復帰し8年。最後には再雇用の条件に怒り、それを蹴って62才でバスの運転士になりました。

以来、何度もドン底を味わいながらの4年間でございました。


(栃木県に近い茨城県筑西市でバス運転士デビューした私を、訪ねて励ましてくれたJR時代からの仲間たちです。)


それから特別支援学校のスクールバス運転士としての子どもたちや同僚との思い出深い日々がありました。

自分の度重なるミスがあり、外国人留学生の送迎バス担当になり、その廃止と共に外国人実習生の空港送迎担当へ。

そして今度は、最先端企業の従業員送迎バス担当になりました。そのチームをまとめる運行責任者と言う辞令を受けての新しい出発でございます。

ほんの数年の間にどれほど色んな試練があった事でしょうか?

でも考え直して見ると、短期間のうちに運転の仕事を通して同僚たち、子どもたち、そして外国人たちを運びながらどれほど色んな事を学んだり感じたりして来れた事でしょう。

そう考えると、とても幸運な人生を送っている様に思います。


(私のお供であり、お守りであるネクタイは息子がプレゼントしてくれた富士山柄のネクタイです。縁起が良いとの事で、無事を願ってのプレゼント。その心が何より嬉しい。)


私のバスには、夜勤専門の女性労働者もおります。

その人は、夕方迎えに行くと「おはようございます。」と言って乗ります。

最初はちょっと戸惑いましたが、私もそのままお返しする事にして「おはようございます!」と迎える事にしました。

その人の新しい一日は、夕暮れから始まるのですからね。

夜勤の連続で、しかも女性です。

かつてなら「母性保護」として禁じられていたはずです。「男女雇用機会均等法」で、労働力不足に対応し、同時に賃金全体を低く抑えるためのインチキな平等だと私は思っています。

しかし、その過酷な中で労働者は誰しも誇りと自尊心を持って生きているのだと思います。

私と同じ人間であり労働者なんだと、間近にみながら改めて感じるのです。

なので、返事があろうと無かろうと運転席から乗車口で乗り降りする一人一人の顔を見て「おはようございます。」「お疲れさまでした。」「お気をつけて。」と声を掛けます。

夕暮れのあいさつが「おはようございます」なんておかしいとか、返事をしない人が失礼だとか全然思わないのです。

何かしら理由があるのですから。私は、企業の指示で人々を安全に輸送する事で賃金を得て生活をしている。

同時に、人として労働者として一つである仲間たちとの大切なひと時を一緒にしているのだと思うのです。

年相応に運転は疲れます。目も痛み、腰も痛み、おまけに尻まで痛む。体はバキバキになって、運転席から降りるとふらつく始末。

でも、無事に終わるとホッとして、何だか幸せだな〜って思う私がいます。

たくさんの辛い試練があるからこそ、人を思い想われる事があって越えられてきた。なので、人をなるべく思いながら、私の人生の旅は続いております。


JRの後輩も夜勤をしながら腰が痛んでいるのに、今日は「さようなら原発」のパレードデモに参加するとの事です。


バラバラにされて、横に連帯する術が無い労働者の仲間たちに、上から偉そうにではなく、同じ仲間として想い合いながら一緒に一歩踏み出せたら、その時既に世界は変わり始めている。

私は、そう思うのです。

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