辻川慎一つくば便り

人の想い

肌寒い秋雨の中での朝の乗務を終えてから、新しい同僚たちと会社幹部との顔合わせミーティングがありました。

お昼近くになりましたので、会社でお弁当が用意されました。

親しくなった同僚が「うな重だって?」と言って「まさか〜本当ですか?」なんて笑いあっておりました。


うな重ではありませんでしたが、地元の「かねき」と言うところのお弁当で、同僚の人も「かねきか!」と知っておりました。


確かに、なかなか美味しいお弁当でございました。

これをチョイスしてくれた幹部の人は、昨日の「冤罪事件」を報告した後の帰り際に「辻川さん、ファイト!」とガッツポーズで見送ってくれました。

普段は、忙しくていつも厳しい顔をしている人です。

私を想ってくれている事を感じた瞬間でございました。

そしてその朝、ドイツの友人からも私のFacebookにメッセージが送られて来ました。

「人生の先にある試練を止める事はできません。注意と敬意をもってそれを習得することしかできません。あなたはその達人です。」

と言うメッセージでした。

Facebookは、問題もあるのでしょうが海外の人とつながるのにとても有効なんですね。言葉を相手の国の言葉に変換してくれる。例え正確でなくても、想いはしっかり伝わります。

例え絶望の淵にあっても、前を向いて生きる力を人の想いは生み出すのだと思います。

それぞれの人生があり、時間がある。その人生や時間を誰かのために想い、使うと言うことは人間の素晴らしい能力なのだと改めて感じました。

では私は、本当に誰かを想うことに人生や時間を使えているのでしょうか?

困難があっても自分を律し、前を向き続け生きる力とは、人の想いを分かり、自分が誰かを本当に想っているのかどうかから来るのだと思い直しています。

何を今さらなのかも知れません。

私の想いをヒリヒリと感じてくれた人たちが、私を想ってくれている訳ですから。



人の想いが分からぬやつは馬に蹴られて死んじまえ!なんて言葉もあった様に思います。


私が妻から、ずっと感じて来た事はひたむきな想いでした。

私はと言うと、人としての想いと政治的な目的にずっと葛藤していました。

だから、いつの間にか所詮人もそうだと思う様になってしまっていたのですね。

人の世界の素晴らしさと言うのは、想い想われる中にある。そこで人は、孤を抜け出て人として生きる。

私は、その様な自分を新たに生きなければならないと思うのです。

さて、夕方の出勤時間が近づきました。どんな試練が待ち受けているやらですが、注意と敬意をもって頑張ります

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