辻川慎一つくば便り

お互いにいるのは当たり前じゃない

傷つきながら、生きて来た世界が違う私を必死に守ってくれた妻と私の共通点は、大切な人を亡くしたことだったと改めて思います。

誰しも存在して、生きていることは当たり前ではない。

でも、いるのが当たり前になるとやってもらうのが当たり前になり、相手の存在に感謝しなくなるのです。


当たり前の日常が、突然破壊され大切な人を奪われ続けているパレスチナ、ガザ地区の人々。


誰しも生きていることは、当たり前ではない。戦争は、それを破壊的にかつ絶望的に私たちに教えている様に思います。



戦争(大量殺人)にどちらが正しいなんてことはないのです。


正義の戦争なんて虚偽です。正義の主張なんてのもマユツバです。

大事なことは、誰のために言っているのかではないでしょうか?

誰しも、存在していること、生きていることが当たり前ではない。当たり前だと思うとその存在への感謝や謙虚さが無くなってしまうのです。

相手の大切さが見えなくなると、実は自分の存在意味も見えなくなる。

意味の無い自分は、金やものや権力を持っている(所有)に置き換わってしまう。

すると、大切なのが金になり、人殺しにさえ無感覚になる。

それが、戦争であると共に、私たちの日常の中に起きている現実の様に思うのです。

人が何かしてくれるのを当たり前とする中に、相手への否定と同時に自分自身の存在への否定が入り込んでいる。

当たり前なんてことは一つも無い事をもう一度考え直したい。

予期せぬ試練の連続の人間の一生に、注意と敬意をもって生き抜ことが大切なんだとの友人の言葉を噛みしめております。注意はしますが、敬意をもっては感謝につながる言葉であり、凄い言葉だと思います。

今日は体調のすぐれない妻に敬意をもって労る休日となっています。



本当に悲しみを感じられる人が、人の悲しみを知る。辛さを感じられる人が、人の辛さを知る。するとみんなが兄弟になる。それを感じた時に、悲しみや辛さを越えて微笑みを交わせる様になれると思うのです。

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