命がけで生きてきた
1990年代から私を知る人が「辻川に会う時は、車の後部座席に7番アイアンを積んでおきなさい。」と公安警察に言われたと言います。「あなたに会うのも命がけだったよ。」「あなたは、命がけで闘っていたよね。」と言います。
実際国鉄分割民営化をめぐり、その手先になった党派に襲撃予告も受けておりました。
今は昔の話しですが、私の激しさとは命がけだった事なんだと思い返させてもらう時があります。

その恐怖に怯む事なく突き進んでいた時代でございました。
色んな場で吠えて来たので、声は大きかったと思うのですが、集中して黙々と運転する仕事になってからすっかり声が出なくなった事に気付きます。
どれほど変化が大きかった事でしょうか?
筋肉同様、声帯も使わなければ弱くなるのですね。
仲間たちと行っていたカラオケもやらなくなりましたので大きな声を出す事が無くなりました。
妻にも話しが聞き取りにくいと言われてしまいます。
身体を動かすだけでなく、ボイストレーニングも大事な様です。
良く話す事もボイトレになるのですね。
いずれにしても、命がけで闘い、立ち続けた時代があって私の今がある。
命を軽んじる訳ではなく、その様にして人に影響を与え記憶に残っている訳ですから、年を理由にして弱ってばかりはいられないと思い直します。
何事かに命までかけるって、人間の本質なのかも知れません。
2011年3月11日、津波からの避難を津波に呑まれるまで訴え続けた女性職員もおりましたが、何かを本気でやろうとする時は命がけなんですよね。
国鉄分割民営化と闘い、亡くなった人もおりました。
亡くなった人を思い返しながら、自分が何であったのかを考え直す3・11でございました。
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