辻川慎一つくば便り

友情、思いやる心、変わる景色。

みなさまお元気ですか? 

こちらはあちこちで桜が満開で、暖かくとても気持ちの良い週明けになっています。


(朝の乗務後に、ちょっと寄り道しました。牛久市にあるのにここだけ龍ケ崎市の飛び地「女化神社」の桜です。)


北海道旭川にある旭山動物園で飼育係をして作家になられたあべ弘士さんと言う人と対談した詩人の長田弘さんが「動物たちとのコミュニケーションの基盤は、理解でなく友情なんだと言う事が、あべさんの本の温もりから伝わってくる。」と話し、あべ弘士さんは「動物たちに干渉するのでも、鑑賞するのでも無く、じっと観察する事で見えてくる。」と言うお話しをされておりました。

人間同士だけでなく、動物や植物とだってコミュニケーションができるんだよ。それは友情によって。

うーん。目からウロコって感じがします。

友情が無いと実は人ともコミュニケーションできないって、なるほどって思いませんか?



お互いがお互いを信じあい、大切に思いあう気持ちや関係性のことを「友情」というよ。友情は、対等で平等な関係の中で育っていくもの。友情で結ばれた相手とは、一緒(いっしょ)に何かをしたい、考えたことを言い合ったりしたいと自然に思うことができるんだよ。


友情について、そんな解説がございました。相手を大切に思う気持ちが無いと友情はわかない。当たり前の事だけど心と心が通わないのですから、コミュニケーションにはならない訳です。

ただ自分の考えや都合を押し付けて、相手に干渉しているだけになっちゃう訳です。すると拒絶される。

動物は、人みたいにずるく立ち回れないのですからそっぽを向かれたり、噛みつかれたりするのですね。

友情を持って、相手を大切に思いながら良く観察する事を通して相手のメッセージを読み取って行く。そして、どうすれば通じ会えるのかを見つけて行くのですね。


ところで、今はスマホが発達して、動物園でもどこでもカメラ越しに相手を見て、写真に撮って終わり。実は相手を自分の目や五感を使ってじっと時間をかけて観察なんてしなくなってしまいました。


そう言う私自身も、確かにそうだと思うのです。

見ているのは画面を通した相手であり、友情を持って相手を良く見ている訳ではないのです。

そうすると、どんな相手や物とも深くはつながれないと言う事になります。

たくさんの人に関わり、たくさんのものを見ても、自分の心との関わりが浅いのですから生きた記憶にはならない。ただ通り過ぎる風景にしかならない。つまり、共に生きた!って言う喜びがある鮮やかで深い記憶にはならないのです。


(帰宅して、庭の雑草を抜いておりましたら二匹出て来ました。いよいよ春なんですね。)


私たちは、心を動かす事がめっきり減った様に思います。自分の心の声に耳を傾けなくなりました。そうすると人の心の働きにも鈍感になります。つまり、自分も人も大切に思えなくなっている。

それだと動物や植物も、そっぽを向いたまま。しかし、私たちが忘れがちな心の働きで友情を持って接すると、相手も応えてくれる。それを教えてくれているのだと思います。

友情、相手を思いやる心無しに本当のコミュニケーションは成立しない。

私は、私を思いやり続けてくれた心の友人からそれを学びました。

そうして、やり過ごして来た人や景色を立ち止まって、時間をかけて良く見る様になって来ました。そして、その中で自分がどう働きかけたら良いかを考えます。

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