半端なき優しさ
バスドライバーとして散々失敗し「担務替え」になって約1年。
せっかく62才で苦労して取得した大型二種免許でしたし、バスドライバーとして復帰できればと思いながら、最低賃金で何でもやった1年でした。
介助人をやりながら、色んなドライバーの運転も見れましたのでプロドライバーと言っても色々だと目で学ぶチャンスにも恵まれました。
凄いと思う人は、技術が凄いだけでなく、乗客が快適に感じる運転と徹底的な安全運転をしていました。半端でなく徹底的なんです。
大型二種免許と言うものの真髄を見る思いが致しました。
私の方は、技術的には自信などありませんが、辞められた前任者に「大型二種免許の運転とはこういうものかと学ばさせてもらいました。」と言って頂き、4年も掛かってしまいましたがようやく普通免許との違いが分かる様になって来ました。
昨日は、所定の乗務に加え相手企業のVIPの送迎の依頼を受けました。「辻川さんにお願いしたい。」と言ってもらった時に何とも言えない嬉しさがありました。
一旦プロドライバーとしてだめの烙印を押されて、様々な仕事をやり抜いたのを見て「辻川さんにお願いしたい。」と言ってくれたのですから、感慨無量でした。
小さなことかも知れません。
でも私にとってはとても大きなことでした。

昨日、伊集院静さんが亡くなったのですね。
若くして亡くなられた夏目雅子さんの旦那さんだった印象が強かったのですが、山口県出身の元名をチョン・チュレと言う在日二世の人だったとは知りませんでした。
「大人の流儀」でしたか著書も読んだことはあるのですが、私とは違う世界に生きているんだなと言う感じでした。
ところが、別名伊達歩と言う名で「ギンギラギンにさりげなく」などの歌詞も作っていたのですね。
https://youtu.be/3X8ACv53TX4?si=D2gicznEfeSVPZJs
その歌詞自体が彼の生き様だったのかと今になって感じた訳でございます。
国鉄分割民営化の嵐の頃6才下の後輩たちが、カラオケで歌っていたのを思い出します。つまり、それはその後輩たちの生き様に合っていたのかも知れません。

夏目雅子さんが亡くなってから、「一億円あれば手術を受けさせて助けられたかもしれないのに俺にはその金が無かった。それから絶対に金に振り回される生き方はしないと決めた。」と言ったと言われます。
反省のしかたが凄くないでしょうか?金策よりも大切な事があったと言う事かも知れません。
安心して住めるところが無いと仙台に居住し、東日本大震災に遭って避難生活もしたとの事。
きっと半端なく優しい人だったのですね。きっとそれを半端なく貫いたのだと思います。
もちろんお会いした事はありませんが、ギンギラギンにさりげなくで会っていた訳です。
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