努力が報われるとは限らない(イチロー)
みな様、日本語学校も夏休みで送迎が無くなり、私はサマータイム勤務。今日から始まりと終わりが2時間遅くなります。
朝食とお弁当作りに忙しい妻に代わり、掃除機かけ、ゴミ捨て、洗濯をやり間もなく出勤致します。
今朝のゴミ捨ては、稲の香りを楽しみながらでした。
茨城では珍しくも何ともない光景ではありますが、間近に見ているとまた違って見えます。

小さなものに宇宙が見える!はマドミチオさんでしたか?
見ようとしなければ見えないのかも知れません。

今日は稲の花が見えました。
人間は、命に限りがある事を知るからなのか、作物を植え、子を育て自分がいないかも知れない未来にも生きる。
報われるから頑張る!と言うより、次につなげるために今を生きている様にも思います。
昨日ブログで触れた加藤智大さんのお母さんは、かけ算九九ができないと湯船に彼を沈めたそうです。
何のためだったのでしょうか?
報われるとは、お金なのか?地位なのか?名誉なのか?
そこに未来があるのでしょうか?
努力に即効性を求める浅はかな時代が、生み出した悲劇の様に思います。
そう言う私も、その「昭和」な枠の中にいた様に思います。
イチロー選手は、努力が報われるとは限らない。努力していると思っているうちは特にダメ。夢中になっていると、周りには努力と見られるみたいだね。
そんな話をしていました。
何事も夢中になれたら、報われるかどうかなんて確かに関係ないですね。
土台報われるなんて、権威や権力に依存した考え方じゃないのかな?
今日も、人に言われたからでなく自分から夢中になれると良いな!何かの種を撒けたり、育てられたら最高ですよね。
みな様も暑いのでご無事で!
行って来まーす!
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