優等生では響かないブルース。
先日ブログで紹介した東大出身歌手の鈴木重子さんのCDが届きました。
期待して聞いた妻が「ジャズシンガーだと言うので聞いたけど、何か違うね。白人系の優等生的感じがする。録音も売ろうと言うのが見えてしまい親しめないな。」と言います。
そして、「私が力をもらったのはこちらだよ」と聞かせてくれたのは、綾戸智絵さんでした。

聞くと確かに心に迫る声であり、歌い方です。
ブルースってこうだよなと沁みて来ます。
アメリカで黒人と結婚して酷いDVに会い、日本に戻ってからは親の介護をした。生きて来た苦労が、歌に表れている。
ブルースは、黒人の悲しい歴史から生まれ、生きる喜びや力になって発展して来た。正当な音楽から外れたところに、深い味わいがあると思います。
おかしなことですが、私は両親が働けど貧しかった少年時代から、かなり屈折しながら「優等生」を目指して来た様に思います。
学校にトップで入り入学生総代に始まり、労働組合も、政治運動も、優等生的にやり抜いた来た様に思います。
実際には優等生どころか、地べたを這う様な格闘の連続でした。
挙げ句に、息子の一人に死なれてしまいました。
そして今や権威も権力も無いどころか、過失事故の責任を問われる日々。
地に落ちた感じなのですが、だからこそ見える人の有難みがあります。
失敗そのものは、具体的に対策を立てて実行する以外に無いのですが、自分でやって来た!あるいはやれて来た!と言うおごりと誤解こそがもっと深い誤りであった様に思います。
優等生には仲間がいない。仲間として一緒に生きる泥臭さが無い。自分を特別に置いて、一緒に楽しめない。
私自身人の助けがあって、何とか生きているしやれて来たのに何だか綺麗に描こうとして来た。
そこにようやく気付いて来た感じです。
職場で頼りにしている先輩が「慣れて来て色々見えて、できる様になったからミスをするんだよ。私だって向かないかなと悩んだことがある。そこからだよ。」と助言して下さいました。やはり、仲間の支えです。

ブログで知り合った仲間が、気分転換に御殿場線に乗ったと車窓からの写真を送ってくれました。私もいつか乗ってみたいと思っています。
私も本当は傷だらけ。だんだんとブルースが歌える様になって来たかも知れません。
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