辻川慎一つくば便り

上からの改革のつまらなさ。

朝の乗務を終えてから、バス室内の清掃、窓拭き、ボディの拭き上げを終えて面倒見の良い働き盛りの同僚の話を聞きました。
自分の担当バスが修理に出されて「やる事がないから。」と私が上司と話しているうちに、私の担当バスの清掃までしてくれた事に驚いた人でございます。

その比較的若手の運転士さんが「この会社は変わらないよ。」と言います。

とてももったいない思いがしました。


(今日の昼休みは、妻と一緒に竪穴式住居をみながらの公園ランチでした。縄文時代に霞ヶ浦は海でした。)



(和洋パスタとスープを、気持ち良く美味しく頂きました。)


日本が戦争に負けた後、「護送船団方式」で高度経済成長を主導したのは、実は優秀な国家官僚であったと言われます。

それから、労働組合の力も大きかったのですが、こちらは現場からたくさんのリーダーが生まれたからなんですね。

それが、だんだんと上同士が上手くやると言う形に収束する事で戦後の「安定」が生まれた。

働く人たちも任せておけば、生活と成長が保証されるので「保守化」した様に思います。

現場からうるさい奴が出て来ると、労働組合の方が抑え、排除するので経営の方も楽だった訳です。


(萩の紅葉です。)


そして、時代が変わり「新自由主義」で労働組合も地域の共同性も資本主義発展の妨害物とされた。競争原理で勝ち残った者に価値があるとされました。

労働組合を潰し、面倒くさい現場は丸投げでアウトソーシングすれば良いとなりました。経営者の責任は、収益と株価と言う事になりました。

ところが、本当に価値を生んでいるのは人が働くところにあるのですから、マネーゲームで価値が生まれている訳ではありませんね。

結局、新しい価値を社会に提供できなくなって行く。

受け手に「選択の自由」があるみたいですが、どこの何を選んでも大して変わらないと言う事になります。

例えば、牛丼を吉野家で食べるのか?すき家か松屋か?

日本全国どこに行っても同じ様なお店が並ぶ様になってしまいました。

食べる事も大事にされなくなりました。

着ない服も大量に買われ、ブックオフに売られたりするだけで特別なものでも無くなりました。

働く事に特別の価値が無いのですから、生きる事自体にも特別の価値は見出せなくなっていない様に感じます。


(西洋ときの木の紅葉。マロニエとも言われるのですね。)


政府からのお金の給付や減税。今度は103万円の壁突破だとか賃金引き上げを国民民主党が提唱していると話題になっていますが、優秀な官僚に代わるのが優秀な政治家になるとでも言うのかな?

何だか、本質では何も変わらない様に思ってしまいます。

主導する主体は、働く人でも国民自身でも、ましてや働き盛りの若者でも無いのですから楽しくも何ともないし、ワクワクするはずもないと思うのです。

これからの若者たちからすると、全て上から指示された事を従順にやる事が評価が高いので、疑問を持つうるさい奴は弾かれて行く。

それで当面は安泰な訳です。
しかし、危機になっても誰にも突破する力が無い事になる。

想定外の新しい価値や商品も生まれ無い。みんな無難な線になる訳です。

危機の日産だけでなく、どのメーカーも似たりよったりにしか見えないのは私だけなんでしょうか?

船井電機と言う老舗も破綻しましたね。

疑問を持ちながらも、責任感を持ってやり切っている人たちを大事にせずに「上から」の改革と言う発想で、これからの時代を渡って行けると言う甘さへの警告の様に思います。

人の社会において、自分と無関係な事件は無い様に思います。

私の会社だって無縁なはずが無いのです。

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