辻川慎一つくば便り

七夕に「全ての人を個人として尊重する」誓いを

休日土曜日の仕上げに、妻と一緒に映画を見ました。アマゾンプライムで、月額500円の映画鑑賞でございます。



こちらです。2020年の作品。ジョニー・デップさんが、自ら作られた映画だったのですね。知りませんでした。パイレーツ・オブ・カリビアンの印象が強いのですが、全く別人の様でジョニーデップさんだとわかりませんでした。


水俣病と有機水銀の被害を世界に知らせたユージン・スミスと言う写真家の物語でございます。


ユージン・スミスを敬愛し、その写真を見たデップさんが映画にしたのです。

金にも権力にも屈する事無く自分の写真を撮り続けた人の物語でした。

ユージン・スミスさんは、アメリカ先住民の血を引き、ジャズを愛し、黒人ミュージシャンと一緒に同居していた事もあるそうです。

「写真は、ジャズと同じなんだ。即興だよ。」

「写真はね、撮る人の魂を取られてしまうのさ。」

「人生は、失敗を通してしか学べない。」

デップさんを通して語られるユージン・スミスさんの言葉の一つ一つが印象的です。(一度見ただけですので正確ではありませんが)

それからチッソの工場長役の人の言葉も印象的でした。「流されている汚水はppm(百万分の1)なんだ。被害者もppm。私たちの仕事は、多数の人に役立っているんだよ。」だからppmは仕方がないとユージン・スミスさんに100万ドルを渡そうとする。スミスさんは「お前はクズだ!」と突き返す。

何だか原発事故でも、色んな問題でも犠牲は付きもの、ppmなんか構ってられるか!って考え方は、昔から同じなんだなと改めて思いました。

ユージン・スミスさんが世界に知らせて、「外圧」で仕方なく認めて来た被害。だからいまだに解決していない現状なんですね。



さて、日本国憲法13条をもう一度。
「全ての国民は、個人として尊重される。」これは、国に対する縛りですので「全ての人は、個人として尊重される」と言う事です。

「全て」ですからppmの人は尊重されなくて良いなんて事は無い訳です。

「個人の尊重」とは、一人ひとりをかけがえのない存在として大切にするということです。 一人ひとりをかけがえのない存在として大切にするということは、人を人として大切にするということであり、誰もが、国家や力の強い者、多数者から、何かの目的のための道具や手段、モノ扱いをされないということです。…との解説もあります。

私は、国や企業の責任を問うて済む問題ではない様に思います。

偏見に基づいて、差別し迫害し、あるいは無視したのは先ずもって私たち民衆自身に他ならないからです。

人を個人として尊重する事は、私たち自身がそれを貫く事で本当の批判になるのだと思います。

自分を差し置いてならば、自分もただのクズになってしまう。人は見ていない様で、他者をよく見ている。そこは、甘く無いと思うのです。


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