辻川慎一つくば便り

一線を超える

今日も穏やかな秋晴れで、柔らかな日差しが気持ち良いですね。

同じ時に、ウクライナやパレスチナでは国家間の利害の対立で戦争が起きている。

日本でも戦争を経験した両親や先輩方が「戦争だけは絶対ダメ」だと何度聞いた事でしょうか?

正義の戦争なんか無いと改めて思います。

金儲けに正義もへったくれも無いのと同じです。人のものを奪って栄える事など続く訳が無い事を歴史が示して来たと思います。

妻が「国も国境も私たちに必要無いよね?」と言います。


ネットから引っ張りました。


椅子は、一人掛けでしたが私が小学1年生の頃の机はこの様につながっておりました。

その真ん中に線を引いて「ここからはみ出たらダメ!」とやり合った事を思い出してしまいました。

線と言うのは目安としては便利なんですが、一旦引くとそのラインを守ろうとする者と状況次第で超えても良いとする者、そして超えようとする者が出てくる。

まあ、道路のラインでも何でも同じですよね。ぶつからない様に引いたラインに絶対性を持たせると、それが逆に衝突する原因になる訳なんですね。

何のためのラインだったの?
国民を守ると言うラインが、国民を死に追いやる事になる訳です。線を超えた奴が悪い!と。

果たしてそうなると、線を引いて肘で小競り合いした子どもたちを笑えませんよね。


私はと言うと家で小競り合いしていた弟が、伝染病の疑いで病院に隔離された時に大事にしていたおもちゃを差し入れた事を思い出します。


ケンカばかりしていたのですが「病気で帰って来ない。」となると心配になる。

伝染病と言う事でおもちゃは帰って来ませんでしたが、弟は帰って来たので良かったと思った思い出があります。

子どもながら対立と隔離の壁をそうやって超えたんですね。

いつか私は大人になったのですが、人と人の間に線引きする事をずっと超えようとして来た様に思います。

だから、いつも「辻川は一線を越えている組織破壊者だ」なんて言われたのかも知れません。

安全のため、人を生かすための目安としての線はある。しかし、いざとなれば越えてはならない線なんか無いのだと思います。

そもそも共同や共生のためのルールだと思うから守っている訳です。

だから絶対のラインなんて無い。線も壁も、人を本当に思う心が超えて行くのだと思うのです。

何かの一線を守るために人を罵る者は、国境を超えられないどころかそれを強める役割を果たす。

私の生きた経験による一つの教訓なのでございます。

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