辻川慎一つくば便り

ラジオ放送100年。

今日は、週一の小学校送迎です。

久しぶりと言う事もありますが、朝からちょっと失敗ばかりです。

マイクロバスなので、運転席のドアを開いて乗ろうとしたらふらついてよろめき、ドアをとなりのマイクロバスにぶつけてしまいました。

傷がついて無いか見に来た同僚に「大丈夫みたいだ。」と言われ一安心。

子どもたちを迎えて無事に学校に着きましたら停車の順番を間違えて違うところに止めてしまう。

バックして方向転換して、帰庫回送で走っていたらハザードが点きっ放しだと後方を走る先輩同僚に知らせてもらったりと散々でございました。

どうも一つ一つの動作がちゃんと出来ないのは、何なのでしょうか?

別な事を考えながら動く癖がある様です。

脳と言うのは、基本は一つの事しか考えられないらしいのですが、とにかくいろんな事をいっぺんに考えたり、片付けたりする長年の習慣自体に無理があったのかも知れませんね。

しかも、しっかり年を重ね「柔軟性」がなくなって来ているのですから、一つ一つしっかりと見て行動する習慣を身に付けていかないと、自分が嫌になってしまいそうです。



貸切バスの社員運転士さんたちには、会社のミーティングがあったのですが、嘱託の私は対象外。


寂しい思いも無くはないのですが、余計なプレッシャーがかからないと考えると有り難い事かも知れません。

いろんな気持ちが交差するのですが、先ずは妻が作ってくれたお弁当を頂きました。

そんな私にもお弁当を作ってくれる人がいる。一人では無い事を感じられるのが、何より有り難いかも知れません。


そして、あれこれとかなり悩んで選んだラジオが今日のお供です。


「飲み鉄」でミュージシャンでもある六角精児さんの声を聞きながら、公園でちょっとお昼寝を致しました。

「百年前にはラジオは無かったのです。」との話しがありました。

そうです。ラジオを買ったのは偶然なんですが、今年は日本でラジオ放送が始まってから丁度100年なんですね。3月22日に始まったとの事で、この日が放送記念日との事です。

関東大震災で、人々に正確な情報が届かなかったために不安が増長されて、在日朝鮮人の方々や社会主義者まで虐殺された歴史がありました。

ラジオは、ネット社会になった今でも非常時の頼みなんですね。

まあ、非常時でなくても「映像頼み」では無い分、人々を励まし、元気が出て来る様な話しかけの言葉や内容が多い様に感じます。

エンジンを掛けっぱなしだと、ガソリンは消費するし、排気ガスも出ますのでなるべく暖かい格好をして、ラジオを聞きながらうつらうつらしておりましたら、気持ちも晴れて来ました。

そう言えば、JRの先輩も、私の父も早く目覚めたりした時にラジオを聞いているとの事でした。

父は昔、手製のラジオを作ったりしておりました。ものが無い時代の人たちは、なんでも自分でやっていました。

それを見ながら、私も育って来たのですね。

なので、今の時代の人たちに比べるとできる事はなるべく自分でやろうとします。かなり力技が多いのではありますが。

いつもは通用しませんが、力技が有効な場面もあります。でも力頼みでは、いかなくなっても来ました。

時代も変わり、私も老いて来ました。
引いて見て、考える。それも自然なのかも知れません。

吉田兼好が残した日本の古典に「少しのことにも、先達はあらまほしきことなり。」とあります。自分が知らないことをする時には、よく知っている人に聞くと失敗しないと言う意味だそうです。あらまほしきって「あって欲しい」と言う事なんですね。

そう考えると、私は友達だけでく先達
にも恵まれて来ました。今日も先達に助けられました。

親も含めてですが、「先達」って言うのも良い言葉ですね。大事にしたいと思います。

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