辻川慎一つくば便り

バス運転士を目指した人の夢

一生分くらいの涙を流しましたので、なるべく笑顔にする様にしました。

昨日は、バス会社に入っこられた気になる人に話しかけて見ました。

人への接し方だけでなく、仕事への向き合い方がちゃんとしていると感心して見ていましたので、いつか話しかけたいと思っておりました。

そのチャンスを見ておりました。

そしたら「辻川さんは、いつも笑顔で接しているので凄い人だなと思ってました。」と言うのです。

仕事の方はほめられたものではない事は、自分がよ〜く分かっているのですが、そんなふうに見てくれていたのかと驚いた次第です。

その方は、ゴルフ場やホテルのフロント営業の仕事をされて来たとの事でした。どうりで人への接し方がきちんとしている訳です。

でも「私は、人と接するのは本当は苦手なんです。」と言う。そして「なので、辻川さんを見ていると凄いと思います。」と言ってくれました。

う〜。私の方が、その方の接し方に感心していたので人は簡単にはわかりませんね。


(今日はひたちなか市に来ております。JR時代の仲間の一人の母校です。)


「給料が下がってしまったでしょう?」と聞きましたら「正直を言いますと下がりました。」と言う。子供さんは、まだ小学生との事。

「それじゃあこれからが大変ですね?」とたずねましたら「観光バスの運転士になって、自分の子供たちの遠足の運転ができたらなって言う夢があるのでです。」と言います。

「わ〜ステキな夢ですね。きっと実現できると思います!」

そんなやり取りを致しました。

夢や希望を持って仕事ができる事って、収入だけの問題ではありませんよね。

自分の子供に限らず、私も色んな人の夢や希望を運んで来たよなって思います。

夢や希望は人と比べるとつまらなくなります。

人を区分けたり、線引するとそれで終わり。何故かと言うとそれで分かった気になり、それ以上の興味が無くなってしまうから。

線引は、自分の世界を狭くしてしまうだけの様に思います。


(実家に行きましたら、母が手料理を作って待っていてくれました。)


会社側とか労働者側とか言う、「当たり前」にされて来た線引も疑いはじめております。
そうやって、自分を分類して人を理解する努力を放棄してないのか?

後生大事に守って来た家も、会社も後継者がいなければ終わりなんですね。巨大文明の廃墟も見ているはずです。

「当たり前の前提」なんてなく、激しく変化する世界。あるいは自然の猛威もあります。

その前で線引していて、今に安住しても通用しない。

私は、もっと大事な事を見ているのかも知れません。

SNSが広まり、人を攻撃する事や許せない!みたいな事が直ぐに広がる様になりました。

ところが、実際の人間関係で大事なのは許す事なんだと思います。

「許しとは、意図的に自分の心を解放する行為であり、相手の在り方というよりも、非生産的な感情から自らを解き放つ自分の力量に関係がある。」

つまり、とても積極的な自分の心の解放が許すと言う事なんですね。

許せない世界にいると、自分をそこに閉じ込めたままになる。

あいつは許せない!と責めているより、自分の夢や希望に向けて打ち込める人自体に希望がある。

そんな風に思います。


妻が、フルーツ好きの私の両親への手土産に用意してくれたのは「千疋屋」(せんぴきや)のフルーツゼリーでした。


こちらは美味しい、せんびきでございます。

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