辻川慎一つくば便り

スーパームーンの夜

スーパームーンの夜。西田敏行さんの訃報を目にしたためか、福島出身者で若くして命を絶った人を思い出しました。西田さんも福島出身の人でしたね。


(曇り予報で見えないと思っていたスーパームーンが見えました。)

一人は、国鉄分割民営化の前年の1986年の秋に28才で独身寮から飛び降りたTさん。

飛び降りる直前に、国鉄分割民営化反対を曲げない私と仲間たちを見せしめにするために入れられた水戸駅北口にあった駐車場を訪ねて来ました。

お別れに来てくれたのか?迷っていたのか?

亡くなってから思った事でした。

もう一人は、2011年3・11の後だったと思います。後輩の青年たちと飲んでいた時「辻川さんは、僕の事なんか忘れてしまいますよね?」と言ったN青年でした。一緒に働く場面も無かったので、おかしな事を聞くなと思っていたら自殺してしまいました。

2人とも福島県の浜通り(常磐線沿線)の出身者でした。

まさかそれが今生のお別れの意味だったとは。2人ともそれほど深い付き合いがあった訳ではありません。

でもお別れをしに来てくれた。

いつもの事ながら、私の方は「闘い」の渦中で相手からのメッセージを受け止めきれていなかったのだと思います。

何ができたのかわかりません。

でもきっと、私に寄り添って欲しい事があったのだなと、今なら思います。

そして、私自身の息子の一人を失う事になってしまったのですから。



東日本大震災の地震も私に恐怖としては記憶されていません。未曾有の事態に私は「どうすべきか?」そして、何と闘うべきかばかり考えておりました。それは、人の痛みに鈍感であったと言う事でもあります。


私に会いに来てくれたのに、私はその人たちの苦しみや痛みに想いを寄せられ無かった。

本当の強さや優しさと鈍感は違うのだ。

死ぬな!と言うのは誰でも言えます。

この世の居心地がめちゃくちゃ悪かった。居場所が無いから去って行く。

居心地が良かったら、闘いなどしなかった。みんなで居心地を良くするために労働組合を作って頑張って来たはずです。

この世の居心地が良ければ、彼らは自ら死ななかったはずですね。

世の中がしんどくても私自身が、彼らに取ってとって居心地の良い人だったら?この世も捨てたもんじゃない。一緒に生きてみようかな、なんて思ったかもしれません。

永遠に叶わない事になってしまいましたが、そう言う人にならないと彼らを忘れてしまう事になるよな。スーパームーンの夜に改めて思いました。

ますます孤立化して居心地の悪い世の中になっているのですから。

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