辻川慎一つくば便り

コマツナギ「希望をかなえる」

みなさんお元気ですか?

8月が過ぎて、私の方の中小企業労働者生活が4年を超えました。

なのに全く慣れない私がおります。

昨日も午前中から汗まみれになってゴミの回収と廃棄をやり愛妻弁当を頂いておりましたら、作業上の都合で昼休みを1時間伸ばしてもらえないかとの打診。

つまり退勤時間が1時間遅くなる訳でございます。

そう言う事は、早めに連絡するものでは?と思う訳でございますが、時間給のマジックなのか、何もしないで1時間いるのも辛い。

なので受けた次第でございます。
労働条件の変更について、組合員や職場の仲間たちのために厳しく対決していたのはほんの6年前までの事でした。

この会社の労働組合は「おかしいじゃないか?」と批判したら「辻川さんと距離を置く」と言ったままで何のあてにもなりません。

全くつまらなくなってしまいました。

でも、それはこの会社だけでなく、何だか社会全体の風潮の様に思えます。

JRでも、この会社でも現場の労働者が元気な頃って明るかったのです。


せっかく伸びた休憩時間。
歩く事にしました。

こちらは、土手や田んぼのあぜ道に咲いていて「萩」に似ているのですが「コマツナギ」との事です。駒をつなげるほど茎が強いので、この名が付いたとありました。


萩は、葉が3枚。コマツナギは、7枚の違いで見分けるそうです。

花言葉は「希望をかなえる」。
あ~、縁起の良い出会いをしました。

私が、理不尽と言う事で思い出すのはユダヤ人の強制収容所から生還したフランクルと言う人が残した「夜と霧」です。

ユダヤ人であると言う事だけで、強制収容所に隔離され非人間的扱いを受け、ガス室で殺されて行く。

理不尽の極地の中でフランクルは透徹した目で見続けたのです。

そして、希望を失った者から死んで行ったと言います。どんな絶望の極地であっても、誰かがあなたを思って待っていると思えた人は絶望しなかったと言うのです。

これは、私の記憶ですのでその通りでは無いかも知れません。

でも、その一節はずーっと残っています。

例えどんな状況であろうとも、誰かが自分を思っていてくれる。そう思えるかどうかが生死を分ける。

と言うかそれが生きる意味を決めている。

簡単な様で実は簡単ではありませんよね。生死の極限に立ってそう思えるの?って事ですからね。

私の感じる理不尽なんてのは、それに比べると大した事は無い訳です。


山栗が既に熟しておりました。



栽培種の原種ですが、むちゃくちゃ美味しいと言う記憶があります。


両親との記憶です。

私を思う人を忘れて、希望が持てるなんて事も無い。

人の思いを感じられずに、かなえる希望って本当に大切な希望なんでしょうか?

歩きながら、そんな事を考える時間ができました。

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