辻川慎一つくば便り

わが家のお墓参り

みな様、お盆はいかがお過ごしでしょうか?

昨日は、家族揃って私の実家に行きお墓参りに行って来ました。

台風接近でちょっと慌ただしくなりましたが、亡くなってから来年で10年になる息子に改めて向きあい、一緒にお墓に入っている親族にお礼を伝えて来ました。


私より22才上。今年87才になる父です。


母には甘えるばかりで、母がグチりますが「慎一がいるとシャンとする」と言います。

色んな事がありましたが、私を大切に思い、育ててくれた生粋の労働者です。

自分は高校進学を断念して、鉱山で働き下の妹や弟3人を高校に行かせた兄でもあります。

3人の妹弟は、今も父に感謝して故郷富山の特産品を贈り続けています。

自分の苦労で築かれた人のつながりの強さを学んで来た父親でもあります。

その父親に殴られても蹴られても、子供のために耐え抜いて、父親を誇る様に伝えて来た母があっての家族でした。

幸い、若い時の子供でもあり両親とも元気でいてくれる事の幸せをしみじみ感じられる様になったのは、やはり母親として生きて来た現在の妻がいてくれてです。


お墓参りと実家への盆帰りの帰路は、潮騒はまなす公園に寄って見ました。


3人で滑り台に挑戦。
息子がスルスルと滑るので妻も滑る。
では私も!と滑り出しますがバランスが取れず途中降参の情けなさでした。


息子のお目立ては、こちらでございましたが…。公園内にあるディープなお店でございます。


実子を亡くして悲嘆にくれる私に「いつまで悲しんでいるのはおかしい。革命のために生きているんだ。」と主張する人たちとお別れしました。

広島長崎で、あるいはグアムで生き残った横井庄一さんたちの終生に渡る後悔には、肉親や仲間たちを見捨て生き残ってしまったのではないか?と言う思いが共通する様に思います。

それは、東日本大震災と原発事故にも共通しています。

戦争や核兵器、原発事故はもう懲り懲りだという思いは自分が怖いと言う事だけではなく、大切な人を守れずに失ったと言う人としての思いと分けられないのだと思うのです。

それが分からない反戦とか反核と言う主張は、結局人々の思いとは別なところにある。

私は、息子の一人を父親として一緒に生き抜き守れなかった事を曖昧にしたら人としてダメになる。

お墓の息子と向き合う事は、今と向き合い二度と後悔しない生き方をするためだと思っているのです。

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