もう一つのプレゼント
60才を過ぎてプロのバス運転士を目指してから失敗と挫折、再挑戦の波乱な5年間ではありましたが、この1年間もまた私に取ってはハードでございました。
ようやく自分なりの運転が出来る様になったと感じて来たところに、年末のバス整備作業が入り、ほとんどが初めての事で神経が張り詰めていたのだと思います。
クリスマスの25日から体調がおかしく成りだし、26日には動けなくなりうなされながら眠り続け、27日には仕事復帰、そして今日本年最後の乗務を迎える事が出来ました。
白ナンバーの運転から緑ナンバーの運転になってやる事が増えたのに、給料は下がり、ボーナスも無し。
さすがに、何のために自分の努力はあるのかなーなんて思う時があります。
しょせんプロドライバーなんて言ったところで、社会も会社も口だけじゃないのか?なんて言う気持ちも湧いて来ます。
乗って頂いている人たちも、自分で直接運賃を支払っている訳ではなく、会社やあるいは管轄自治体が負担しているので「雇われ運転手」としか思われていないのかな?
そんな事も思う時もあります。
それでも、車外でも車内でも事故があれば責任は問われる。ミスの責任は自分が負うしか無いのです。
金銭的な損得勘定からすると、やはり割に合わない仕事だなと思います。

(ラッシュの中の折り返し時間に、たまに時間があると工場の門前に出て暗い公園をみながら深呼吸します。)
昨日は、37時間寝ての乗務復帰。乗務出来るまでにはかなり早い復帰ではありましたが、メンタルの方はイマイチ。何のために俺は頑張っているんだろうって落ち込みがちでございました。
そんな時に、この日の最終便に乗ったベトナム人実習生(若い人しかありませんが)の中の2人が、それぞれが降りる停車場で運転席のデッキに立ち止まり「今年はお世話になりました。良いお年をお迎え下さい。来年も宜しくお願いします。」ってたどたどしく言って下さったのです。
昨日で終わりの人もいたのですね。私の方は、想定外でジーンと来て泣きそうになってしまいました。
たぶん、その言葉を降りる時に伝えるために自分の中で何度もシュミレーションしたはずです。逆を考えたら、簡単な事ではありませんよね。
私に感謝を伝えるために、わざわざと自分の中の心の時間を使い、それを懸命に伝えてくれたのだと思います。
そのうちの一人は、私が小学校の乗務の時に別の運転士さんが行くと「いつもの運転士さんは、来ないのですか?」と聞いていたと聞いた事もありました。
私の運転士と言う仕事を通した出会いではあるのですが、損得勘定を抜きにした心の触れ合いってやっぱりあるんだ。しかも、やっぱり人種だとか国境なんか関係ないよ。もちろん年齢も。
報われるって事は、本当はこういう事なのかもしれません。
少子高齢化で外国人実習生の働き無しに、日本の生産現場が成り立たなくなっています。必要に迫られてどんどん増やされております。
そして、その中から逃げる人もでる。逃げる事自体が不法なので、犯罪に走る人もでます。すると「ベトナム人は悪い」となる。
そう言う話に私は、同意しません。
人としてみんな同じなのですから。
違うでしょうか?
何とか無事に、少しでも楽しく過ごし、自分たちの夢や目標を達成して欲しい。
それは、日本の子どもたちでも、外国人の若者たちに対しても同じ気持ちでおります。
恵まれているのかいないのか?
人と比べていればきりがありません。
比べる人は、人を上下でしか見れないので人自体は見れない様に思います。
私もそれに囚われたら、二度と無い出会いの日々を無にしたままこの世を去って行くだけ。
クリスマスは、ウィルスのプレゼントだけでなく別のステキなプレゼントも用意してくれていた様でございます。
これから、本年最終乗務です。
邪念を払って無事にやり遂げたいと思います。
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