辻川慎一つくば便り

お彼岸の出勤

昨日は、春分の日。お彼岸の中日でしたが、前日夕方に急に出勤要請があり仕事になりました。

休日で道が空いていましたので、朝の乗務を快適に終えてから妻と散歩に出掛けました。

公園ではユキヤナギが満開でした。



ユキヤナギの花言葉は「秘められた思い」との事です。


穏やかな祝日の公園には、たくさんの子どもたちが遊んでおりました。

ところが夕方、バスを発車させますと小雨がちらついて来ました。

少し走ると夕日が当たるのか虹が見えました。しかもダブルの虹。さらに走ると別の虹も。

珍しい事だなと思っておりましたら、土砂降りに変わる。

さらに、雪が混じり霙の土砂降りに。

何ていう天気だろう!
それが帰庫する時には、星空になっていたのですから。



帰宅してから、それを妻に話すと「きっと亡くなった息子さんが会いに来たんだよ。あなたがちゃんと反省しているから許しているよって知らせたのだと思う。」と、そんな話しをしてくれました。


その夜、私は小さな子どもを抱いてしっかりと守っている夢を見ました。しかし、その子がいなくなってしまう。私は懸命に探すのですが、どこにも見つからない。

そこで目覚めました。
それは亡くなった息子でした。

お彼岸は、あの世とこの世が一番近づく日なんですね。

その子は、1985年5月31日に生まれました。

国鉄分割民営化の嵐の時代です。

無事に生まれた姿を見て、喜びを噛みしめながら心を引き裂かれる様に闘いの現場に。

肺が弱くて肺炎を起こし入院した時には、可愛くて、哀れで泣いておりました。

私の膝の上で安心しているのが愛おしかった。ずっと守ってやりたかった。

しかし、仲間たちのリーダー的存在でしたので、父親としてまともに側にはいられませんでした。

しかし、死を選ぶほどの苦しみに追いやるまで、人任せにしてしまった事を深く後悔しています。

別れたその子の母親も含めて、大切な子どもの事を人任せにしてしまった結果だと深く反省しています。

亡くした時も、職場の仲間たちと原発事故で被曝した電車の検査に反対する闘いの最中でした。

子どもたちや仲間たちを守るための闘いをリードしながら、自分の子は守れなかった。

私の生き方に対する、根本からの否定と拒絶を受けてしまいました。

党派の中心的「幹部」でもありましたが、「指導者は、いつまでも子どもの死を悲しむべきでない。」と言う党派の人たち。その立場で「私は、子どもの死を超えた。」と言う元妻。

しかし、私の悲しみと後悔が消える事はありませんでした。どうにも合わないのです。



私は、実は孤独で精神状態もおかしくなっていたのだと思います。


無茶苦茶な私に寄り添ってくれたのが、現在の妻です。そして、妻は、私に寄り添って生きてくれてきた仲間たちの存在の大切さを見直させてくれました。

反省すべきは、亡くなった息子の事だけでなくその仲間たちに対してもだと、妻は厳しく私に迫って来ました。

私の人への関わり方や言葉の酷さに、一番傷付いて来たのが側にいてくれた妻だから分かったのですね。

最後の頼みになれなかった父親としての深い反省は、新しく家族になってくれた人の頼みになれる事。仲間たちの真実の頼みになれる事。それ以外に責任を取ると言う事は無いのだと思う、お彼岸でございました。

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