辻川慎一つくば便り

いま月にいるよ!

フランス語で、物思いにふけりぼんやりしている事を「月にいる」と表現するそうです。

生きる中での疑問を大事にして、自分で考える事をとても大事にして来たのです。逆に言うと自分自身で考えないのはダメなんですね。全体に流されたり、付和雷同する全体主義の危険性を歴史から学んで来た訳です。



フランスの作家サン=テグジュペリが残した「星の王子さま」です。

私のJRの後輩は、日本国憲法を大事に思い子どもたちにも学ばせる様にして来ました。

その憲法を時代遅れだから変えなければならないと、岸田首相や自民党が主導しております。

何だか自衛隊が国軍として認められないのはおかしい!みたいな事に焦点が行きがちですが、実はそれだけではありません。

憲法第13条にある「全ての国民は個人として尊重される。」と言うのを公共の利益下に置く事が考えられているのです。

「個人の尊厳」は、公共のためには制限されるべきだと言う訳です。

ところで公共の利益を誰が決めるのか?と言えば、国家(実際には、政治家や官僚)である。

すると、個人の尊厳は国家に従属すると言う事になります。

国家が、個人の尊厳を守らなければならない→制限して良い!に変わるのですから似ていても根本が変わるのです。

良く考えないと危ない。言いなりで、みんなの「流れ」だからみたいな事で流されていると、みんなで悲惨な事にならないかな?


(妻と見て来た「飛行機写真家」の飯田淳一さんの写真です。)


津波の被害の歴史がある宮城、岩手、青森では「てんでこ教育」と言うのがあって、津波が来る時には自分の判断で「てんでんばらばらに逃げろ」とされているとの事。東日本大震災の津波の時、実際にそれで釜石第三小学校では、一人の犠牲者も出さなかった。
子どもたちが、自分の判断で家族まで救った事実があります。

自分で考えずに周りに依存していたら、自分の命も家族も守れないと言う生きた教訓です。

さて、コロナワクチンもマイナカードも「強制ではない。個人の自由だ。」と一応言うのは、憲法13条の「個人の尊厳」が国家の義務にされているからなんですね。

そして、それは世界のスタンダードな訳です。

例えば、LGBTも、夫婦別姓も「個人の尊厳」として世界的に認識されて来た常識を、日本でもシブシブ後追している感じがします。

それを逆転させる様な改憲が果たして、世界的に通用するのか?とも思います。

ともあれ、マイナカード保険証を作らなければ薬を出さないとか、スマホ契約ができなくなるとか、いまだに作らない3割の国民を脅迫する中に、「個人の尊厳」など考えた事も無く、人々を下に見る政治家たちの浅はかさと付和雷同する姿が見えてしまいます。

野球の打者ではありませんが、3割と言うのは相当な高打率(少なく無いの)です。

個人の尊厳を国家に守らせるために、私たち自身が先ず「個人の尊厳」とは何か?そして、先ず自分から周りの人の尊厳を大切にする。そのために何をするかを考える。話し合い、そして実践する事が大事なのかなと思います。

私は、労働組合と言う群れの長でもありましたが、個人の尊重無しには成り立たなかった。それを大事にしたからこそ、今も大事にしてもらえているのだと思っております。

これからは、世界の人々と共に、一人一人を尊重する時代が来ているのかなと思っています。

その意味では、一人であっても一人ではない。

ちょっと月から地球を見て、考えてみました。

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