辻川慎一つくば便り

あなたがいるから私がいる。

週末金曜日です。

明け方は寒くなると思い、窓を閉めて休みましたら大汗をかいて寝苦しい一夜でございました。

妻が、見かねて窓を開けてくれたとの事でした。

今日も暑くなりそうです。


でも、そのためか朝顔がずいぶんと長持ちしてくれています。

辛い事もあれば、良い事もある。
これで分かった!とか、これさえあれば大丈夫なんて事は無いのだと思います。

昨日は、1年の雇用契約の更新で呼ばれました。めちゃ忙しかった訳ですが、山を越えたのも分かりますので「よもや契約解除!」なんていう可能性も頭を過ぎります。

かつては、強気で押し渡っていたはずの私が何て情けないと思われるでしょうか?

必要な時に雇われ、必要が無くなれば吐き出され職を失う。そう言う時の労働者の不安って同じだよなと思うのです。

正規雇用のJR時代には無かった感覚なんですね。だから、私はその不安な気持ちを大事にしたい。

結果的には、契約の1年延長と時給20円のアップが伝えられました。下がるよりは良いのですが、茨城でも最低賃金がアップしたからなんですね。

なので、別に「あなたが(大事)だから」と言う訳ではありません。

例えば、決まった仕事があろうとも無かろうとも「あなたの代わりはいくらでもいる。」と言うのが企業の基本的考えであり、姿勢なのだと思います。

誰かが辞めても、あるいは亡くなっても会社としては回し続けなければならない。

その様な論理と考え方で社会全体が回されている。



日本社会の特徴かも知れませんが、「人よりも組織維持」の本質を隠し、人に対する自分の責任や良心から逃れるために「権威」を立てて、そこにひれ伏させる構造があります。


それを象徴するのが「天皇制」と言う訳です。JR東日本の幹部や代理人たちも「上の上の判断が必要です。」と裁判所で平然と言って、自分の考えや責任から逃れていました。

その構造は、中小企業でも同じなんですね。

つまり、自分のせいではなく誰かのせいと言う心理の中に権威主義と「象徴天皇制」がしっかりと根付いていると思うのです。

朝からまた理屈っぽいですね。

大会社の社員から、中小企業の非正規雇用パート労働者になって、改めて見えて来た事でございます。

確かに私たちは、自分たちがこの世を去っても「次の世代がいる」事に自分たちが生きた意味を見出します。

しかし、それは「あなたの代わりはいる」と言う事とは全然違うのです。

「あなたがいたから私はいる。」その様にして受け継がれ、続いて行くから意味がある。

そうでないのは「幻想」の意味なのだと思います。

国家は(武力を背景とする)「幻想共同体」だとか、青年時代に労働組合で論争した事を思い出します。

猛烈に高齢化している中の武力増強にどんな展望があるのか私には分かりかねますが(もしかして高齢でも戦える画期的新兵器でも開発中なのかな?)、「あなたがいたから私がいる」を世の中の「流れ」に抗して貫いて来たところに、我が仲間たちの本当の展望がある様に思うのです。



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