現場を知らない方が頭で作ったのでしょうか?意味不明な運輸労働者の労働時間規制のために、みどりナンバーのバス運転士に復帰した私は、慣れて来た企業送迎だけでなく別の仕事をしないと規制を超えてしまうとの事。
ただでさえ、白ナンバーよりも記録する事ややる事が増えた上に、短期間に別のバス乗務を覚えなければなりません。
「高齢者ドライバーイジメじゃないか!」って怒っている暇もありませんので、別の挑戦ができるチャンスだ!この年で新たな事にチャレンジさせてもらえのって有り難いよな〜って思います。
運転はできて当たり前。慌てず、焦らず、運転以外の仕事もしっかり熟す。
そうして、本当にプロドライバーの仲間として受け入れてもらえる。
そんな挑戦なのだと思います。つまり、疲れますがやりがいがある。
(秋田県乳頭温泉の一番奥にある「蟹湯」に朝迎えに来ていたバス。細い山道を古いタイプの大型バスで走るのは大変だろうな〜。なんて見ておりました。)
急がずとも私たちは誰しも、例外なくいつか消えて行きます。
幼い頃、母が全てだった時代が私にもあります。母がいなくなったらどうしよう?母が「お前は、トイレまでくっついてきて離れなかったんだよ。」と笑います。
でもそれは、人としての原型の様に思うのです。
親が、友だちになり、自分の家族になり。あなたがいなくなったら、私はどうしよう?寂しくてどうしようもない。
本当は、そう言う関係なんだと思います。
だって、人は誰しもいるのが当たり前では無いのですから。
当たり前にしてしまうから、傲慢になったり、人を人として見なくなってしまう様に思うのです。
それで結局自分の事ばかりになって、一人孤独になってしまう。
あの世には何も持っては行けないし、栄華や名誉なんてのも廃れて行く。
では何のために生きているの?
分かっているのは、あなたがいなくなったら寂しいと思う私の中にはあなたがいるって事かな?
つまり、私がいなくなったら寂しい。つまらない。と思ってくれる人の中に私はいるって事。
仕事や生活を通して、やっぱりあなたがいないと寂しいから、どうしたら仲良く心を通い合わせられるのか?
実は、お金のためよりも本当に大事な事がそこら辺にある様に思います。
だから、自分の仕事に手を抜かない自分自身の目が大事になる。人の目を気にするのではなく、仕事への姿勢があなたを大切に想う姿勢と同じだからです。
そこに譲れないものがある。
会社や上司に使われているのではなく、権威や権力に媚びへつらうのでもない自分自身の人への姿勢と目が、仕事を通して練磨されて行く。
5年前と違うのは、私があなたがいないと寂しいと想う同僚たちも、きっと同じに思ってくれているなか〜って感じる事です。
まあ、そんなに理想通りには甘く無いでしょう。
でも母を追った私は、67才になってもそのままなのかも知れないなと思ったりします。
母が元気で長生きしてくれている事に、感謝しながら思います。