高が労働者、されど労働者
地震に台風があり、お墓参りがあり、友人も来て、9日間の休みもあっという間に終わりです。
明日から5日間は、朝の乗務が終わってから9月から変わるバスの運転研修に入ります。
同乗してくれる指導運転士がおりますし、精神的体力的には目一杯になるかと思います。
大型バス、中型バス、それぞれに乗った時にも研修を受けておりますので無駄の様に思えますが、ブランクが2年以上あるドライバーには「20時間の運転研修」が会社に義務付けられているとの事です。
それだけ、事故が多かったと言う事なのだと思います。
マイクロバスも、それなりの大きさがありますが、中型、大型になるとやはり別物と言えるくらいの大きさがあります。
なので、気の使い方が別次元になります。
本当のベテランは、それを感覚として体得している訳です。
(我が家の朝顔が、毎朝新しい花を咲かせております。)
私の方は、バス運転歴3年で様々別の仕事を2年やっての再挑戦という事になります。
出来て当たり前と見られている事も含めて、不安もプレッシャーもあるのでございます。
人がしてくれる事に「当たり前」が無い様に、自分がする事にも当たり前って無い様に思います。
他の人には、何でも図太くやって来た様に見られる様ですが、実は何事にも緊張しながらやって来ました。
緊張し過ぎるのをアルコールで解いて来た感じですが、その間違いと甘さも痛い目に遭いながらようやく気付いて来た様に思います。
(手土産に頂いたブルーベリーをチーズに乗せたおつまみを、妻が作りました。)
昨日訪ねてくれた仲間たちには、昼からお酒を楽しんでもらいましたが、私はノンアルコールで話を聞き、送迎をさせて頂きました。
浴びるほど飲んでいた私を知る仲間ですので「飲まないで、付き合ってもらってすみません。」と言ってくれました。
妻も「昔のあなたなら我慢できなかったよね。変わったね。」と言ってくれました。
「ようやくバスドライバーになったのかな?」と私。
そうして、バスドライバーの同僚たちの「当たり前」でない日々も理解できる様になったのかも知れません。
バスドライバーだけでは無く、自分の仕事に責任を取りながら、日々働いている労働者を一層身近に感じる私がおります。
自分の仕事に向き合う事は、他の人の仕事に向き合う事でもあり、その人たちがいて自分がある事を学ぶ事でもある様に思います。
私の恩師の一人である中野洋さんは「高が労働者、されど労働者」と良く言われました。大した事なく思われるけど、そこに凄さがある!って意味でしょうか。
また明日から、私の新たな挑戦です。
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